出自・歴史
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出自や本姓などは不明であるが、砂越氏の祖は平泉の藤原泰衡討伐(奥州合戦)に功があり、源頼朝よりその論功行賞として出羽国飽海郡代を授けられた武家であるという。元は市条(現:酒田市市条)に政所を敷き政務を執っていたが、後に播磨国の豪族、赤松氏の三男に当たる石黒氏が久寿元年(1154年)に築いたという砂越館(現:酒田市砂越)に移り、そのまま土着したという。飽海郡には出羽国留守職を授かっていた新田目(現:酒田市本楯新田目)の留守須藤氏がいたが、それと並んで最上川以北の有力勢力に成長していったという。 嘉吉3年(1443年)に当時の当主であった砂越氏信が合戦に敗れ、砂越城は落城する。氏信には後継がいなかったために足利家氏(斯波家氏)の流れをくむ矢口将監氏益が砂越氏の名跡を継ぎ、再興した。文明10年(1478年)には子の氏雄が砂越氏を継いでおり、氏雄は室町幕府より信濃守に任官され、出羽飽海に3万石を正式に授かっている。氏雄は上洛し将軍・足利義尚に謁見している。
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出自・歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 20:00 UTC 版)
留守氏は康平5年(1062年)源義家に従軍し出羽留守職を命じられた首藤主馬首資清を元祖とし、その職名から代々留守氏と称し飽海郡新田目城を拠点に活動した。また、先祖は近江国今井より起こり今井留守ともいう。家紋は須藤氏族の丸に一文字を用いる。
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