出自・歴史とは? わかりやすく解説

出自・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/30 03:05 UTC 版)

砂越氏」の記事における「出自・歴史」の解説

出自本姓などは不明であるが、砂越氏の祖は平泉藤原泰衡討伐奥州合戦)に功があり、源頼朝よりその論功行賞として出羽国飽海郡代を授けられ武家であるという。元は市条(現:酒田市市条)に政所敷き政務を執っていたが、後に播磨国豪族赤松氏三男に当たる石黒氏久寿元年1154年)に築いたという砂越館(現:酒田市砂越)に移りそのまま土着したという。飽海郡には出羽国留守職を授かっていた新田目(現:酒田市本楯新田目)の留守須藤氏がいたが、それと並んで最上川以北の有力勢力成長していったという。 嘉吉3年1443年)に当時当主であった砂越氏信が合戦敗れ砂越城は落城する。氏信には後継がいなかったために足利家氏斯波家氏)の流れをくむ矢口将監氏益が砂越氏名跡継ぎ再興した文明10年1478年)には子の氏雄が砂越氏継いでおり、氏雄は室町幕府より信濃守任官され、出羽飽海に3万石正式に授かっている。氏雄は上洛将軍足利義尚謁見している。

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出自・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 20:00 UTC 版)

出羽留守氏」の記事における「出自・歴史」の解説

留守氏康平5年1062年源義家従軍し出羽留守職を命じられ首藤主馬首資清を元祖とし、その職名から代々留守氏称し飽海郡新田目城を拠点活動したまた、先祖近江国今井より起こり今井留守ともいう。家紋須藤氏族丸に一文字用いる。

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