出生から山梨県令着任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:53 UTC 版)
肥後国熊本寺原瀬戸坂袋町に熊本藩士である父「黒瀬市左衛門」、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}母「登千子」[要出典]の二男として生まれ、安政5年(1858年)に同藩士である菅野太平の養子となり、名を嘉右衛門と改める。上京して尊皇攘夷運動に加わり、1863年(文久3年)の八月十八日の政変後に脱藩し、翌元治元年(1864年)の禁門の変では長州藩に加わって戦い、大和十津川郷士の紀州高野山挙兵にも参加している。 明治15年(1882年)12月23日付、太政官賞勲局あて履歴書による明治新政府への出仕後の履歴は次のとおりである。 慶応4年(1868年)2月12日、御親兵会議所詰。同年3月14日、浪士取調のため軍防局に出仕。同年閏4月4日、徴士・内国事務局権判事となり三河国裁判所に在勤。同年6月16日、軍務官へ出仕。同年8月29日、軍監。明治2年(1869年)3月1日、監察司知事。同年8月20日、弾正少巡察。同年9月25日、兵部省に出仕。同年11月3日、監督司大佑。同年11月8日、兵部権少丞。明治3年(1870年)1月9日、兼京都府少参事。明治4年(1871年)11月26日、大阪府参事。
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