出生から引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 04:02 UTC 版)
岸沢文左衛門、常盤津文字多男を両親とし深川森下町に生まれ、幼少の頃から父の元で修行し9歳で岸沢式多津を名乗る。3代目柳家小さんの紹介で1909年10月下席両国立花家で初高座を踏む。常磐津と手踊りで人気を取り三遊派の立花家歌子(本名は藤本、後の岸上きみ。清元)と柳派の岸沢式多津(常磐津)で人気を二分した。長らくコンビを組んだのが7代目春風亭柳枝の妻の岸沢式多女であった。1915年に21歳で結婚を機に引退、翌年には離婚し再度寄席に出る。再婚するが相手が嫉妬深く、常磐津は色気がありすぎると長唄に転向するがそれでも嫉妬は止まず、寄席興行形態の変化や芸人の所属団体の離散・集合など混沌とする演芸界の中で活動し1920年に引退した。
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