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くぎょう くげう 【公暁】
近代文学作品名辞典 |
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公暁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 02:38 UTC 版)
公暁(くぎょう、正治2年(1200年) - 建保7年1月27日(1219年2月13日))は、鎌倉時代前期の僧侶。鎌倉幕府2代将軍源頼家の次男。母は足助重長女(源為朝の孫娘)。幼名は善哉(ぜんざい)。第3代将軍源実朝を「父の仇」として暗殺した謀反人だが、自身も直後に討ち取られた。
- ^ 北条義時(北条氏)黒幕説の代表的なものとして龍粛(『鎌倉時代 下(京都)』春秋社、1957年)・安田元久(『北条義時』吉川弘文館、1961年)などがあり、義時が体調不調を理由として事件直前に現場を離れたことを根拠とする。ただし、近年義時の離脱と公家である源仲章への役目交替を「将軍暗殺」という不祥事を招いた武家の失態を隠すための『吾妻鏡』の曲筆とする平泉隆房による疑義(「『吾妻鏡』源実朝暗殺記事について」『皇学館論叢』133号、1990年)も出されている。
- ^ 三浦義村(三浦氏)黒幕説は、永井路子が小説『炎環』(光風社、1964年)で義村黒幕説を描いて以来注目され、石井進がその可能性を認めた(『日本の歴史7 鎌倉幕府』中央公論社、1965年)ことで急浮上した。他に大山喬平(『日本の歴史9 鎌倉幕府』小学館、1974年)・上横手雅敬(「承久の乱」安田元久 編『古文書の語る日本史3 鎌倉』筑摩書房、1990年)などがいる。
- ^ 後鳥羽上皇黒幕説は近年、谷昇(「承久の乱に至る後鳥羽上皇の政治課題 -承久年中「修法群」の意味-」『立命館文学』588号、2005年)が提唱し、実朝暗殺と前後する1月22日から28日にかけて上皇が国家安泰とともに政敵の調伏を祈願する五壇法が実施され、実朝暗殺の報が届いた直後の2月6日に五壇法が再度行われた他、同日に他に4つ、10日も2つの修法が行われていることを指摘して、後鳥羽上皇が京都で育った公暁を利用した実朝暗殺に加担し、自らは京都にて暗殺事件を機に幕府が崩壊することもしくは宮将軍の擁立による幕府掌握を祈願していたと主張している。
- ^ 一連の黒幕論に関しては谷昇『後鳥羽院政の展開と儀礼』思文閣出版、2010年、P179を参照。
- ^ 近年、公暁単独犯行説を取っているのは、山本幸司(『日本の歴史9 頼朝の天下草創』講談社、2001年)・五味文彦(「京・鎌倉の王権」五味文彦 編『日本の時代史8 京・鎌倉の王権』吉川弘文館、2003年)・永井晋(『鎌倉源氏三代記』吉川弘文館、2010年)など。
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