住所・事務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 14:07 UTC 版)
1946年(昭和21年)に復員して『百日紅の下にて』『獄門島』『車井戸はなぜ軋る』などの事件を解決後、京橋裏(銀座裏)の焼け跡に残った「三角ビル」という三角形の怪しげなビルの最上階に、探偵事務所兼住居を持っていた(『黒蘭姫』)が、3か月ばかりで閉めてしまう(『女怪』)。ただし、1948年(昭和23年)には三角ビルの事務所を使用していた時期があり、『死仮面』の関係者が来訪している。 三角ビルからの1回目の引き払いの後、中学の同級生で建設会社社長の風間俊六が愛人(作中では「2号さんだか3号さんだかわからないが」(作品によっては4号ないし5号まで進む)と記述される)の節子に女将をさせている大森の山の手にある割烹旅館「松月(しょうげつ)」の、四畳半の離れに居候して、ここを事務所兼自宅にしている。生活力は薄く、煙草銭にも欠く有様で、よくこの「松月」の女将から小遣いをもらっている(『悪魔が来りて笛を吹く』第2章、『病院坂の首縊りの家』第1部第5編など)。「松月」での寄食は1956年(昭和31年)ごろまで続けている。 『毒の矢』『黒い翼』などの事件に関わったことをきっかけに世田谷区緑が丘の「緑ヶ丘荘」の2階フラット(3号室)に転居し(改稿前の『悪魔の降誕祭』など)、ここが定住の場所となった(引越しの時期を1957年(昭和32年)とする説が有力で、#経歴ではこの説を採用)。ここの内部構造については細かいところで何度か描写はあるが、全体の構造については『迷宮の扉』で「ドアを入ると小玄関になっており、玄関のおくに応接間兼書斎がある」といった説明があり、書斎側がアパートそのものの庭に面しているらしい。緑ヶ丘荘は後に改築して「緑ヶ丘マンション」となるが、改築を担当した風間建設の社長・風間俊六から二階正面のフラットを無償で贈られている(『病院坂の首縊りの家』)。 仕事の成功報酬はほとんどの場合、満足に得られていない(『扉の影の女』など)。金田一は興味を持てない事件には、いくら多額の報酬を提示されても見向きもしないが、反面興味をそそられた事件は報酬も構わず、手弁当でこれに没頭してしまう。それでも蓄財はしていたようで、『病院坂の首縊りの家』の事件解決後、近しい人たちに莫大な金額を寄贈している。
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