他民族との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:21 UTC 版)
こうした伝統文化は、ロシアではソビエト連邦時代、中華人民共和国では文化大革命時には弾圧され一時途絶えていたが、ロシアではその体制崩壊により、少しずつ復興されつつある。 かつてはロシア人やモンゴル系のダウール族の商人との交易を行い、皮革と引き換えに、ロシア人やダウール族から鍋などの生活用品、狩猟に必要な銃・散弾のほか、酒類などの嗜好品も得た。 中国側のオロチョン族に対しては、満洲国時代の1930年代後半に、関東軍の特務機関が工作して軍事訓練をほどこし、対ソ情報収集の任務を与えた。オロチョン族はソ連領内にも同族がおり、ロシア語と中国語に通じていたため、その種の任務に適していた。当時関東軍の特務機関は少数民族宣撫工作に阿片を用いたともいわれており、オロチョン族の間に麻薬中毒が広がり、戦後もしばらく続いたと主張する研究者もいる。 1943年に14歳で満蒙開拓青少年義勇軍として満洲に渡った岩間典夫(山梨県出身)は、シベリア抑留、中国人民解放軍入隊を経て交易馬車の護送中、オロチョン族に襲撃されて捕われたが、日本人であることから命を助けられ、オロチョン族と生活をともにし、妻をオロチョン族からむかえてオロチョンで指導者的役割を担った人物である。 アムール川流域や樺太(サハリン)では、エヴェンキ族やウィルタ(オロッコ)族に対し、しばしば「オロチョン」の呼称が用いられたことがあった。
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