京奉鉄道借款問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 07:19 UTC 版)
「スコット・ムラヴィヨフ協定」の記事における「京奉鉄道借款問題」の解説
1898年4月、清国は日清戦争以後工事が中断されたままになっていた京奉鉄道山海関・錦州間の完成とその新民屯までの延長、そして途中から営口へと分岐する牛荘支線建設のための借款を、英国資本の香港上海銀行に申し込んだ。イギリス駐清公使(英語版)のクロード・マクドナルドは、イギリスの首相兼外相であったソールズベリー侯爵(ロバート・ガスコイン=セシル)に対し、もし香港上海銀行が借款の求めに応じない場合は、ロシアかドイツが引き受ける可能性があり、そうなれば深刻な事態を迎えかねないとして、速やかに清国の申し込みを受けるよう進言した。マクドナルドは対露戦略鉄道としての意義を京奉鉄道に認めており、遼東半島をロシアが租借するという状況にイギリス側も対応しなければならないと唱えた。 香港上海銀行は清国からの要望に応じる意向を示し、清国鉄路総公司との交渉を開始した。交渉は6月初めには妥結に向かい、予備契約の署名を待つだけという段階に至ったが、ここでロシアからの妨害行為が入った。すなわち、露清両国が3月に結んだパヴロフ協定(旅順・大連租借に関する露清条約)の5月7日の追加協定第3条では、清国はロシア以外の国に東清鉄道付近の鉄道建設の許可を与えないことに同意しており、京奉鉄道がイギリスからの技術的ないし財政的援助によって山海関から奉天に向けて建設されることは、この同意に反していると抗議したのである。 ロシアからの抗議にもかかわらず、清国鉄路総公司は香港上海銀行の借款予備契約が6月15日に結ばれた。しかし、ロシアは追加協定上の法的権利を強く主張したため、清国鉄路総公司はアレクサンドル・パヴロフ(ロシア語版)によるパヴロフ3条件(京奉鉄道を借款の担保としないこと、京奉鉄道の資産も担保としないこと、清国以外の列強による管理を認めないこと)を受け容れなければならなくなった。しかし、香港上海銀行としては、この3条件は決して受け容れられるものではなく、しかも予備契約の規定により、3か月以内、すなわち9月14日までに、この問題を解決しなければならなかった。
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