事故への批判と続発するトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 02:21 UTC 版)
「全日空機高知空港胴体着陸事故」の記事における「事故への批判と続発するトラブル」の解説
「ボンバルディア機の航空事故とインシデント」も参照 事故原因はメーカーにおいて製造の最終段階で行われた納品前検査時の損傷を修理した時にボルトを付け忘れたことが原因であったが、同型機で頻繁に運航トラブルが発生していたにも関わらず、その原因の特定すら行われていないまま運航を継続していた。この理由は、当機種がYS-11の後継機で地方路線の主力機だったから、あるいは、日本が導入できる数少ない50-70名級ターボプロップ機であったから、という見方がある。高知県民からは大きな事故発生の不安が強まっており、事故後は利用者や旅行代理店支店長から全日空への批判の声が上がった。 負傷者こそ出なかったが同機における初めての重大インシデントであった。同型機を導入した日本航空グループにおいてもトラブルが続発していたが、全日空のように事故には至っていなかった。 事故機となったDHC8-Q400は、この事故以前から主脚を格納する油圧系統の動作不良、油漏れが相次いだほか、設計ミスによる配線不良や電子機器の故障が発覚しており、機体整備による欠航や離陸後に引き返す事例が多発(2005年から2007年までに同事故を含め77件という異常な多さ)していた。また就航した2002年から事故まで通算で88件のトラブルを起こしていた。さらに2007年9月にはスカンジナビア航空の同型機で、着陸時に左主脚が分断して胴体着陸する事故が連続して発生したため、国土交通省の緊急点検の指示を受けて運航時間1万時間を越えていた日本エアコミューターの3機と、9000時間を越えていた全日空グループの2機が運航中止になった。 以前にも全日空グループのDHC8-Q400では、2004年11月21日にエアーニッポンネットワークが運航する便が高知空港で滑走路を逸脱して滑走路脇で動けなくなり空港を閉鎖させるオーバーラン事故や、2006年2月9日にANA1823便の車輪が着陸前に全て出なくなり手動で下ろすトラブルなどが起きていた。3月20日には天草エアラインのDHC8-Q100が熊本空港で全ての車輪が出なくなり手動操作で下ろすトラブルが発生している。その後の2008年に入ってもインシデントは発生しており、8月12日に日本エアコミューター所属の同型機(JA848C)が、大阪国際空港から離陸直前にエンジンを破損し金属片を滑走路にばらまくというトラブルで滑走路が閉鎖する重大インシデント(航空法施行規則第166条の4第6号に規定の「発動機の破損を発生」に該当)を引き起こしており、同型機のトラブルは根絶するに至っていない。 スカンジナビア航空は前述の連続事故の後の2007年10月27日にもノルウェーで胴体着陸事故を起こし、当日をもって「もはや顧客からの信頼を取り戻す事は出来ない」として同型機の運航を中止し、路線から引退させた。なお事故を理由にボンバルディア社の機体が運航中止になった例として2004年の中国東方航空のCRJ-200(後に不適切な機体管理が原因と判明)がある(中国東方航空5210便墜落事故を参照)。
※この「事故への批判と続発するトラブル」の解説は、「全日空機高知空港胴体着陸事故」の解説の一部です。
「事故への批判と続発するトラブル」を含む「全日空機高知空港胴体着陸事故」の記事については、「全日空機高知空港胴体着陸事故」の概要を参照ください。
- 事故への批判と続発するトラブルのページへのリンク