九姓回鶻・十回紇とは? わかりやすく解説

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九姓回鶻・十回紇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)

回鶻」の記事における「九姓回鶻・十回紇」の解説

回紇ウイグル)部は九姓鉄勒(トクズ・オグズ、Toquz-Oγuz九つ部族)に属していたが、それとは別に回紇部内でも複数氏族分かれており、トゥーラ河流域の九姓回紇オルホン川流域の十回紇伝承では合わせて122部族があったと伝える。回紇部族長(イルテベル)および回鶻可汗カガン)は、九姓回鶻筆頭氏族である(ヤグラカル)氏から選出された。 九姓回鶻 (ヤグラカル:Yaγlaqar)…可汗姓 胡咄(クトゥルガル:Quturγar) 掘羅勿(キュレビル:Küräbir) 貊歌息訖(ボカシキル:Boqašiqir) 阿勿𠼬(アブシャル:Avšar薩(カザル:Qazar) 斛嗢素(クグルス:Quγursu) (ヤグムルカル:Yaγmurqar) 愛耶勿(アヤビル:Ayavir) これら各部落には氏族長として一人都督置かれていた。また、のちに回鶻が抜悉蜜(バシュミル)部と葛邏禄カルルク)部を併合すると、同じく都督一人置いて11部落とした。 十回紇 回紇部ウテュケン山の北、セレンゲ河上中流域。 抜野古部…現在のヘルレン川中下流域に住む。人口6、勝兵1万余、良馬産地製鉄行い小規模な農業を行う。 僕固部…東を抜野古接しオノン川流域に住む。人口3、勝兵1万人々剽悍代々ヤグラカル氏姻戚を結び可敦輩出。 同羅部(Toŋra古テュルク語で豹の意)…元は僕固の西、トール川の北に住む。1万5千戸、勝兵3743年唐へ帰順しオルドス移住753年離散し一部北へ戻って回紇部加わり一部河北に残る。 斛薛部…高闕州(唐代)。多覧の北に住む、後の斛嗢素氏か。勝兵7千。 思結部…同羅の西、トール川の北に住む。 奚結部…鹿州(唐代)。思結と合わせ凡そ兵2。 渾部…浚稽州(唐代)。トール川下流域住み回紇部接する。 契苾部…元は渓州唐代)、トール川の南に住む。隋代薛延陀部連合して天山地方割拠、のち西突厥攻撃受けて離散イシク湖青海漠南などに散る。一部故地戻り、勝兵3千。 阿跌部…田州唐代)。オルホン川下流域回紇部接する。勝兵千7百。 匐列羽部漠南の蹛林州唐代)に住む。 倶羅勃部…外興安嶺北部に住む。 阿史徳部…陽山の北に住む。 奴剌部…白登州唐代)。トール川の北に住む。 多覧部…同羅の南、トール川の北に住む、勝兵1万。 aūn-arğūn部 aīīšlik部 aūtink-ar部 būqiz部 aūzqundur部 tūlar部 tārdār部 adar部 aūj-tābin部 qamlabkhū部 aūtikān部

※この「九姓回鶻・十回紇」の解説は、「回鶻」の解説の一部です。
「九姓回鶻・十回紇」を含む「回鶻」の記事については、「回鶻」の概要を参照ください。

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