隋代とは? わかりやすく解説

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(隋代 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 10:00 UTC 版)

呉音: ずい、漢音: すい、拼音: Suí [swěɪ]581年 - 618年[注釈 1])は、中国王朝である。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後はが中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。開祖楊堅は後漢代の有名な官僚の楊震の子孫にあたるというが、これには疑義が多い(詳しくは楊堅#出自についてを参照)。


注釈

  1. ^ 宮崎市定は、隋は恭帝侗が帝位を奪われる619年まで存続していると説いた。しかし、唐の編纂した正史である『隋書』等では、618年に恭帝侑が唐に禅譲した時点をもって隋が滅んだものとしており、また『隋唐帝国』(布目潮渢、栗原益男著)では煬帝が暗殺されたことをもって隋が滅んだものとしている。本項ではより一般的と考えられる618年を滅亡年としている[1]
  2. ^ 陏の例としては開皇13年(593年)の曹子建墓碑(曹子建の墓碑)がある。
  3. ^ 文献上で確認できる楊堅作字説の嚆矢は南唐徐鍇『説文繋伝』という[1]

出典

  1. ^ a b 「隋代史雑考」(中公文庫版『隋の煬帝』所収)
  2. ^ 駒田『新十八史略4』、P248
  3. ^ a b c 駒田『新十八史略4』、P249
  4. ^ 駒田『新十八史略4』、P264
  5. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P250
  6. ^ 駒田『新十八史略4』、P252
  7. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P258
  8. ^ 駒田『新十八史略4』、P259
  9. ^ a b c d 駒田『新十八史略4』、P260
  10. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P261
  11. ^ 駒田『新十八史略4』、P262
  12. ^ 駒田『新十八史略4』、P265
  13. ^ 駒田『新十八史略4』、P267
  14. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P269
  15. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P270
  16. ^ a b c 駒田『新十八史略4』、P271
  17. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P280
  18. ^ a b c 駒田『新十八史略4』、P273
  19. ^ a b 駒田『新十八史略4』、P274
  20. ^ a b c d e 布目潮渢・栗原益男『隋唐帝国』講談社学術文庫。 
  21. ^ 宮崎市定『大唐帝国』中公文庫。 


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