両国の核保有
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:45 UTC 版)
インドは1950年代以降は、パキスタンの他にも中華人民共和国とも対立しており、同国が1960年代に入り核保有したことによってインドは窮地に立たされた。中華人民共和国はソビエト連邦と対立した上、アメリカとも対立を続けていたために核を続々と配備したが、インド国境付近への配備も疑うには十分であった。このため、インドは1974年5月に地下核実験を行って核保有を宣言、世界で6番目の核保有国となった。インドの核保有によって印パの均衡は崩れ、パキスタンがインドに対して一方的に不利な状況に置かれてしまった。 これは4度目の全面戦争を食い止める面で大きく貢献したが、パキスタンを核開発へと走らせてしまい、1990年代にはパキスタンの核保有がささやかれた。なお、中華人民共和国はパキスタンに対して大規模な軍事支援を行っており、核開発及びミサイル開発においても支援を行ったと言われている。 このころ国際連合は包括的核実験禁止条約(CTBT)締結に向けて動き出しており、これを受けた1995年の中国とフランスの相次ぐ「駆け込み実験」が非難されるなどしたが、1996年には国連総会でCTBTが採択される。しかし、1998年5月にインドが地下核実験を強行、対抗したパキスタンは数日後に核実験を実施し、世界で7番目の核保有国となった。 1995年と1999年の「カシミール紛争」では印パ両国の対立が極限に高まり、全面核戦争の危機が語られた。しかし1999年のパキスタン軍事クーデターによって政権を奪取したパルヴェーズ・ムシャラフは段階的にインドとの協調路線をとっていたため、過激派のテロ攻撃があっても、政治的には非常に安定していた。しかし、2008年のムンバイ同時多発テロ以降、印パ関係が危ぶまれている。
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