不安と流転の日々とは? わかりやすく解説

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不安と流転の日々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「不安と流転の日々」の解説

1934年昭和9年1月何度も自殺未遂繰り返していた親友長島萃が脳炎発狂し夭折したことに衝撃を受け、2月に「長島死に就て」を『紀元』に発表同月には河田誠一詩人)も急性肋膜炎死去した。この2人友人の死は、安吾生命の不安を与え生活態度にも影響及ぼした安吾前年知り合った蒲田新宿酒場ボヘミアンお安さんと3月から半ば同棲生活に入り、のちに大森区堤方555(現・大田区中央)の十二天アパート移住5月、「姦淫寄す」を『行動』に発表9月戯曲「麓」(未完)を『新潮』に発表するが、文学的転機悩み、夏には越前北陸地方放浪し流転の生活を送る。 1935年昭和10年4月に「蒼茫夢」、5月随筆枯淡の風格排す」を『作品』に発表徳田秋声批判したこの随筆が縁で、尾崎士郎知り合う6月に『黒谷』(「木枯酒倉から」など6編収録)を竹村書房から刊行し出版記念会を開く。新鹿沢温泉に赴き、長野県小県郡弥津(現・東御市)の奈良原鉱泉一夏過ごし7月、「金談からまる詩的要素神秘性について」を『作品』、8月に「逃げたい心」を『文藝春秋』に発表。この小説主人公逃走蒸発願望は、太宰治などの同時代作家共通するものであった12月、母や母性について書いた「をみな」を『作品』に発表お安さんと別離し、蒲田区安方町の家へ戻る。 1936年昭和11年3月本郷菊富士ホテル執筆中に矢田津世子来訪し再会するが、その後矢田から絶縁の手紙が来る。このことや同月24日牧野信一自殺衝撃受けたことから、1月から『文學界』に連載していた長編園」を中断し5月牧野への追悼随筆牧野さんの祭典によせて」を『早稲田文学』、「牧野さんの死」を『作品』に発表する6月には、5年交際していた恋人矢田津世子絶縁の手紙を送った矢田との間には肉体関係はなく、5年目の冬に一度接吻しただけだという。11月末から、矢田との恋愛主題にした長編吹雪物語」の執筆取りかかり、翌1937年昭和12年2月尾崎士郎見送られ東京を発つ。京都府京都市伏見区稲荷鳥居前町22下宿し、「吹雪物語」の執筆専念しながらも絶望に陥り、移った下宿先の上食堂二階碁会所を開くなど囲碁三昧飲酒明け暮らす生活を送る。

※この「不安と流転の日々」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「不安と流転の日々」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

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