一球入魂とは? わかりやすく解説

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一球入魂

読み方:いっきゅうにゅうこん
別表記:1球入魂

球技、特に野球において、ボールを扱うその瞬間ごとに全神経を注ぐこと。

一球入魂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:56 UTC 版)

飛田穂洲」の記事における「一球入魂」の解説

一球入魂(いっきゅうにゅうこん)は、野球取り組む姿勢を穂洲が表した言葉である。 西洋伝来スポーツであるベースボールを、穂洲は日本発祥武道通じる「野球道」と捉え試合よりも練習取り組む姿勢重要視し学生野球教育一環であると説いたまた、試合いかなる状況においても実力発揮しうるために、練習では常に最善をつくすべしという「練習常善」の言葉作り過酷な猛練習の末に真の実力が備わると説いたこうした考え背景には早慶台頭前に全盛期誇っていた一高存在晴雨寒暑かかわらずあたかも修行のごとき厳し練習をしていた)と、「知識学問から、人格スポーツから」と説いていた早大野球部長安部磯雄の影響大きい。穂洲の評論日本野球指導者ジャーナリストたちの間で長い間教本として扱われた。そのため、穂洲は日本精神野球の源ともいえる。 穂洲は早大監督辞任した後も新聞記者として自らの主張訴え、また母校後輩たちにことある毎に訓示行ってきた。特に早慶戦前は選手たち前にその歴史心構え長時間滔々と述べ決戦重み訴え続けた彼の教えは、野球技術プレーだけでなく選手体格力量トレーニング理論なども)が進化した現代においては古い時代の精神論として軽視ときには敵視される事が多い。しかし練習できないこと試合ではできない、といった考え目の前の一球の大切さ説く穂洲の主張決して色あせてはおらずプロからアマに至るあらゆる野球チーム中に息づいている。早大野球部においては石井連藏経て孫弟子野村徹へと引き継がれている。

※この「一球入魂」の解説は、「飛田穂洲」の解説の一部です。
「一球入魂」を含む「飛田穂洲」の記事については、「飛田穂洲」の概要を参照ください。

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