一向衆(いっこうしゅう)
中世の日本を席巻した民間念仏信仰集団。盆踊り初期の重要な芸能伝播者と考えられる。
①一向宗は念仏信仰宗教者の集まりである。
「一向」は「ひたすら」とも読み、「ひたすら阿弥陀仏の救済を信じる」という意味。このため法然親鸞以来のいわゆる鎌倉仏教の「専修念仏」(念仏以外の信仰を排する信仰)の一派と考えられがちである。しかし、実態は密教・修験道との交流があって山伏なども含まれ、また祈祷や呪術など民間信仰の「雑修・雑行」を業とする人々もおり、けっして「専修」ではなかった。中世一般民衆は、「専修念仏」の宗教思想よりも、念仏や念仏僧のもつ「呪術力」(死霊鎮送など)を求めていた。
②一遍と同時代の鎌倉時代末期、一向上人といわれた 一向俊聖(1239-1283)による踊り念仏の信仰集団が形成された。しかしこれは歴史上の「一向宗」とは別である。歴史上の一向宗は、この一派のほか本願寺、時衆などの他の念仏教団とも同一視されるような広がりを持ち、いわば中世の民間念仏信仰集団のベースを形成するような位置にある。
③中世末期の「本願寺」と「一向宗」はこれまで同一視されることが多かったが、近年の研究によると両者はイコールではない。これは本願寺の蓮如は、教団構成員が「一向宗」を名乗ることを禁じていることからも明らか。しかしこうした本願寺指導層の思惑とは別に、実態として「一向宗」の人々は本願寺教団のベースに深く交わっていたと考えられている。
盆踊りとの関係で注目されるのは、この一向宗の中に、山伏や遍歴の芸能者など、念仏芸能の伝搬者が多数含まれており、彼らが全国への盆踊りの普及に大きな役割を果たしたと考えられる点である。
一向宗の実態を直接示す資料は少なく、さらなる実態究明が待たれる。
①一向宗は念仏信仰宗教者の集まりである。
「一向」は「ひたすら」とも読み、「ひたすら阿弥陀仏の救済を信じる」という意味。このため法然親鸞以来のいわゆる鎌倉仏教の「専修念仏」(念仏以外の信仰を排する信仰)の一派と考えられがちである。しかし、実態は密教・修験道との交流があって山伏なども含まれ、また祈祷や呪術など民間信仰の「雑修・雑行」を業とする人々もおり、けっして「専修」ではなかった。中世一般民衆は、「専修念仏」の宗教思想よりも、念仏や念仏僧のもつ「呪術力」(死霊鎮送など)を求めていた。
②一遍と同時代の鎌倉時代末期、一向上人といわれた 一向俊聖(1239-1283)による踊り念仏の信仰集団が形成された。しかしこれは歴史上の「一向宗」とは別である。歴史上の一向宗は、この一派のほか本願寺、時衆などの他の念仏教団とも同一視されるような広がりを持ち、いわば中世の民間念仏信仰集団のベースを形成するような位置にある。
③中世末期の「本願寺」と「一向宗」はこれまで同一視されることが多かったが、近年の研究によると両者はイコールではない。これは本願寺の蓮如は、教団構成員が「一向宗」を名乗ることを禁じていることからも明らか。しかしこうした本願寺指導層の思惑とは別に、実態として「一向宗」の人々は本願寺教団のベースに深く交わっていたと考えられている。
盆踊りとの関係で注目されるのは、この一向宗の中に、山伏や遍歴の芸能者など、念仏芸能の伝搬者が多数含まれており、彼らが全国への盆踊りの普及に大きな役割を果たしたと考えられる点である。
一向宗の実態を直接示す資料は少なく、さらなる実態究明が待たれる。
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