ローマ化
ローマ化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/31 06:47 UTC 版)
「アラビア・ペトラエア」の記事における「ローマ化」の解説
ローマ帝国の支配下に入った後、東方の他の属州と同様、公用語がギリシア語に改められた。ミラーの研究が示したように、かつてアレクサンドロス3世に征服された時代でもアラビアは他の属州地域に比べてヘレニズム文化の影響が少なく、ローマ帝国が支配した当初はギリシア語はほとんど使われず、主にナバテア語やアラム語が使われていた。しかし、ローマによる征服の後はギリシア語が公用にも実用にも広まって、ナバテア語やアラム語に取って代わったことが、記録(“Umm al Quttain”)からも示されている。ローマ統治時代の遺物としてナバテア語の資料はいくつか見つかっているが、アラム語の使用例はディアスポラ(ユダヤ人共同体)のものしか見つかっていない。なお、アラム語は現代でもレバノンのマロン派キリスト教徒の間では使用されている。 ギリシア語が広まった一方、ラテン語はあまり広まらなかった。ラテン語の使用例は、127年の総督アニニウス・セクスティウス・フロレンティス(T. Aninius Sextius Florentinus)の墓標や個人名などに限られている。 言葉の他に、古代ローマの様々な文化や価値観も導入された。例えば、公共事業、軍を賛美することをはじめ、ギリシア文化や社会的な価値観が広まった。これらの新しい文化にアラビアはすぐに順応した。
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