ロシア連邦の政治的立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:07 UTC 版)
「バルト諸国占領」の記事における「ロシア連邦の政治的立場」の解説
ペレストロイカの開始とそのソビエト史の再評価により、ソ連最高会議は1989年に東ヨーロッパの分割とバルト三国の占領につながったナチス・ドイツとソ連の間に結ばれた1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書を非難した。 この動きはバルト諸国におけるソ連の行為が「占領」であるとは言明していないが、ソ連崩壊の過程においてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国とリトアニア共和国は後の合意の中でそう断言した。ロシアは1991年7月29日のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国とリトアニア共和国の国家間関係の基礎に関する条約の前文においてソ連はリトアニアの主権を侵害した1940年の併合の結果を除かねばならないと断言し、ソ連はリトアニアを「占領」したと認めている。最も有力なポスト・ソビエト・コンセンサスは、ソビエトによるバルト諸国占領が違法、つまりバルト三国政府の公式の立場を支持する欧州人権裁判所、欧州連合、アメリカ合衆国による宣言である。 一方、ロシアの現在の公式立場は、以前のリトアニアとの関係改善の方向と全く矛盾する。ロシア連邦政府と当局者はバルト諸国の併合は合法的だったこと、ソ連がナチスからそれらの国々を解放したことを主張している。彼らは、協定とバルト海の共和国諸国政府との合意に従い1940年にソ連の部隊がバルト諸国に入ったと主張している。彼らの見解は、ソ連は戦争状態ではなかったこと、バルト三国の領土についての戦闘行為がなされていなかったことから言葉としての「占領」は使用できないというものである。ロシア外務省は「ソ連による『占領』についての主張と関連するいくつかの別の主張は全ての法律的、歴史的および政治的現実を無視し、それゆえ全く根拠がないことである」と説明している。現在、一部の歴史家の間ではクレムリンが超国家主義を進め、ソビエトの過去を粉飾することを目論んでいるという懸念が持たれている。
※この「ロシア連邦の政治的立場」の解説は、「バルト諸国占領」の解説の一部です。
「ロシア連邦の政治的立場」を含む「バルト諸国占領」の記事については、「バルト諸国占領」の概要を参照ください。
- ロシア連邦の政治的立場のページへのリンク