モンテッソーリ教育の発展
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「マリア・モンテッソーリ」の記事における「モンテッソーリ教育の発展」の解説
モンテッソーリ教育が確立されると、その方法は世界各国で支持されるようになり、世界各地に次々とモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」 (Casa dei bambini) が設立された。モンテッソーリ教育が急速に普及していく中、マリアは教師の質の重要性を認識、教員養成コースと1929年には国際モンテッソーリ協会(通称 AMI:本部オランダアムステルダム)を開設、資格取得制度を整えた。現在でも、AMIの国際モンテッソーリ教員養成は厳密なことで有名であり、養成を受けて教員資格を得た教師のみによる教育システムが維持されている。日本におけるAMI認可の教員養成所は、東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターと国際モンテッソーリトレーニングセンター(福岡)の2ヶ所である。 イタリアのファシズムを逃れ、スペイン内戦が起こる1936年までスペインに住んだ。第二次世界大戦時、戦争に反対するマリアは息子の兵役を拒んだため、ムッソリーニ首相と対立、イタリアを離れることになったが、実は、戦前、女性運動に関わっていたマリアはフェミニズムに理解を示していたムッソリーニと一時期、交流もあった。この点がノーベル平和賞の候補時に問題視されたと言われている。 モンテッソーリ教育の生徒にはアンネ・フランクやジャクリーン・ケネディ・オナシスを始め、世界中に数多くの有名人がいるが、ワシントン・ポスト誌の経営者および、ジャーナリストだったキャサリン・グラハム、 Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス、Googleの共同創立者セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、wikipedia創設者ジミー・ウェールズ、などもモンテッソーリ・スクール出身者である。ロバート・W・アーウィンの長女で玉成保育専門学校創設者のベラ(有院遍良)は、1913年にイタリアで国際コースを受講し、マリア・モンテッソーリから直接指導を受けた。
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