ホンキートンク・ミュージック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 08:32 UTC 版)
「ホンキートンク」の記事における「ホンキートンク・ミュージック」の解説
「ホンキートンク・サウンド」はリズム・セクションがバックビートと共に2ビートで演奏する。スティール・ギターとフィドルが主な楽器である。 音楽のジャンルとしてホンキートンク・ミュージックが使われるようになったのはラグタイムのピアノ演奏で、メロディやハーモニーよりリズムを強調したものだった。よく調律されておらず、調子がずれて鍵盤がうまく動かないピアノから発展していった。 ホンキートンク・ミュージックはブギ・ウギのピアノ演奏スタイルに大きな影響を与え、1938年のジェリー・ロール・モートンのレコード『Honky Tonk Music』、ミード・ルクス・ルイスの大ヒット曲『Honky Tonk Train Blues』が代表される。ルイスはこの曲を1927年から1950年代にかけて何度もレコーディングし、またオスカー・ピーターソンなど多くのミュージシャンにカバーされた。 しなやかなサクソフォーンのメロディ・ラインと共にスロービートの、ビル・ドジェット(英語版)・コンボによるブルース形式の器楽曲『Honky Tonk』は初期のロックンロール・ヒットとなった。ルイジアナ州ニューオリンズ生まれのファッツ・ドミノもホンキートンクのピアノ演奏者で、『Blueberry Hill』、『Walking to New Orleans』がポピュラー・ミュージック・チャートでヒットした。 第二次世界大戦前、音楽業界ではテキサス、オクラホマ、西海岸で演奏されるホンキートンクの音楽を「ヒルビリー・ミュージック」と呼ぶようになった。以降、カントリー・ミュージックの初期のサウンドとされ、テネシー州ナッシュビルでウエスタン・スウィングとして発展していった。元々ギター、フィドル、コントラバス、ハワイから導入されたスティールギターを特徴としていた。ヴォーカルはフロイド・ティルマン(英語版)やハンク・ウィリアムズのように元々は雑で鼻にかかっていた。しかし後にジョージ・ジョーンズやファロン・ヤングのように鮮明でシャープなサウンドに発展していった。歌詞は労働者階級に合わせ、失恋、不倫、孤独、アルコール依存症、自己嫌悪など悲劇的なテーマがしばしば登場する。 1941年、アーネスト・タブにとってデッカ・レコードでの6枚めとなる『Walking the Floor Over You』がリリースされ、ホンキートンクのスタイルの確立に助力し、また彼自身ホンキートンクの最初の実現者となった。テキサス州クリスプ出身のタブはジミー・ロジャーズのファンで、ウエスタン・スウィングを融合し、カントリーのサウンドにエレキギターを使用した。 彼はこのサウンドをナッシュビルに持ち込み、『グランド・オール・オープリー』で初めてエレキギターを使用した。1950年代、ホンキートンクはウエブ・ピアス、ハンク・ロックリン、レフティ・フリッツェル、ファロン・ヤング、ジョージ・ジョーンズ、ハンク・ウイリアムズの大ヒットにより黄金期を迎えた。1950年代中期から後期、ホンキートンクとリズム・アンド・ブルースを融合したロカビリーとナッシュビル・サウンドの洗練されたカントリーがホンキートンクの時代を終わらせた。 1969年、ローリング・ストーンズは1940年代のハンク・ウイリアムズのようなホンキートンクのアーティストのサウンドをベースにした『ホンキー・トンク・ウィメン』で第1位を獲得し、ゴールド・レコードに認定された。1970年代には、ウェイロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソン、ジョニー・キャッシュ、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、マイケル・マーフィー、マール・ハガード、ガイ・クラーク、トムポール・グラスター、ジョー・イーライ、ハンク・ウィリアムス・ジュニア、ジョニー・ペイチェック、ジェシー・コルター、サミィ・スミス、タニヤ・タッカー、ゲイリー・スチュアート、デイヴィッド・アラン・コー(英語版)、ビリー・ジョー・シェイヴァーなどのミュージシャンにより、ホンキートンクをワイルドにしたアウトロウ・カントリー(英語版)が登場した。
※この「ホンキートンク・ミュージック」の解説は、「ホンキートンク」の解説の一部です。
「ホンキートンク・ミュージック」を含む「ホンキートンク」の記事については、「ホンキートンク」の概要を参照ください。
- ホンキートンク・ミュージックのページへのリンク