カントリー・ポップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 05:00 UTC 版)
カントリー・ポップ (country pop) は、カントリー・ミュージックのサブジャンルのひとつである。
- ^ “土井隆雄さん、「カントリーポップ」で目覚め--シャトルで初めての朝”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 14. (1997年11月21日). "… 、カントリーポップの「ヒッチング・アンド・ア・ライド」の曲で目覚め、シャトル内で初めての朝を迎えた。" - 毎索にて閲覧
- ^ “[ほのぼの]「布施は“ラスト大阪”」 音楽で街励ます浅尾和範さん”. 読売新聞・大阪朝刊: p. 33. (2004年5月31日). "… 詞を書き上げ、カントリーポップ調の曲をつけた。…" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b 村松増美「Dolly (WORG・WATCHING)」『アエラ』1997年3月31日、 74頁。“… かつらの金髪と豊満な肉体美で知られる米国のカントリー・ポップス歌手Dolly Partonの名前と、...” - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b “ケニー・ロジャース、アフリカ救援100万円を寄付”. 朝日新聞・朝刊: p. 22. (1985年10月4日). "米国カントリーポップス界の大御所で飢餓救済活動家として知られる歌手のケニー・ロジャース(47)が、来日公演中の3日、…" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ RealNetworks
- ^ Ivey, B: "The Nashville Sound". The Encyclopedia of Country Music, pages 371–372
- ^ Huey, Steve. Lynn Anderson - オールミュージック. 2008年6月7日閲覧。
- ^ “'Rose Garden' Country Singer Lynn Anderson Dies at 67”. Wisdom Digital Media (2015年8月3日). 2015年11月21日閲覧。 “The multi-award-winning singer enjoyed a string of hits throughout the 1970s and 1980s, most notably her 1970 country-pop, worldwide megahit "(I Never Promised You a) Rose Garden".”
- ^ “Winners 1970 - 13th Annual GRAMMY Awards”. grammy.com. 2015年11月21日閲覧。
- ^ a b “Olivia Newton-John biography”. Billboard. 2015年11月21日閲覧。 “Olivia Newton-John skillfully made the transition from popular country-pop singer to popular mainstream soft rock singer, becoming one of the most successful vocalists of the '70s in the process. … Although she was born in Cambridge, England, Newton-John was raised in Melbourne, Australia, ...”
- ^ “Winners 1973 - 16th Annual GRAMMY Awards”. grammy.com. 2015年11月21日閲覧。
- ^ “8th Annual CMA Awards”. Country Music Television, Inc.. 2015年11月21日閲覧。
- ^ “KENNY ROGERS”. Country Music Hall of Fame® and Museum. 2015年11月21日閲覧。
- ^ ドリー・パートン - オールミュージック:Though she was quite popular, Parton became a genuine superstar in 1977, when the Barry Mann/Cynthia Weil song "Here You Come Again" became a huge crossover hit, reaching number three on the pop charts, spending five weeks at the top of the country charts, and going gold. Its accompanying album went platinum and the follow-up, Heartbreaker, went gold.
- ^ “Country music”. Oxford Music Online. Oxford University Press. 2014年9月3日閲覧。
- ^ “Taylor Swift says ‘Bye’ to country, hello to urban pop with ‘1989’”. www.buffaloNews.com. 2015年11月21日閲覧。
- 1 カントリー・ポップとは
- 2 カントリー・ポップの概要
- 3 関連項目
カントリー・ポップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:59 UTC 版)
「カントリー・ミュージック」の記事における「カントリー・ポップ」の解説
詳細は「カントリー・ポップ」を参照 1970年代にフォークやポップをルーツとするカントリー・ポップ(ポップ・カントリー)というサブジャンルが登場した。当初トップ40ラジオに登場するカントリー・ミュージックの曲やアーティストに関のちによりアダルト・コンテンポラリー・ミュージックとのクロスオーバーに近づいた。フォーク、ルーツ寄りのボビー・ジェントリーのほか、グレン・キャンベル、ジョン・デンバー、オリビア・ニュートン=ジョン、アン・マレー、マリー・オズモンド、B・J・トーマス、ベラミー・ブラザーズ、リンダ・ロンシュタットなどのポップな歌手の曲がポップ・チャートでもヒットするようになった。 1972年から1975年の間、歌手でギター奏者のジョン・デンヴァーがカントリーとフォーク・ロックのブレンドで『Rocky Mountain High 』、『Sunshine on My Shoulders 』、『Annie's Song 』、『Thank God I'm a Country Boy 』、『I'm Sorry 』など数々の大ヒット曲を生産し、1975年、CMAアワードの最高賞であるエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。前年、オーストラリアのポップ歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョンがCMAアワードの女性ヴォーカリスト賞を受賞していた。ジョージ・ジョーンズ、タミー・ワイネットなどのナッシュビルの伝統的カントリー・アーティストはこの新しいトレンドに不満であり、1974年にカントリー・エンターテイナー協会を組織したが短命に終わった。 1960年代後期からカントリーで高い成功をおさめていたドリー・パートンが、1970年代中期にポップ・ミュージックへのクロスオーバーを大々的に行ない、1977年に『Here You Come Again 』がカントリー・チャートで第1位、ポップ・チャートで第3位に達した。デュエット・パートナーのケニー・ロジャースは逆にポップ、ロック、フォーク・ミュージックで成功した後にカントリー・チャートへのランクインを目指し、同年『Lucille 』がカントリー・チャートで第1位、ポップ・チャートで第5位に達した。1980年代に入ってからもパートンとロジャースは共にカントリーとポップで成功し続けた。クリスタル・ゲイル、ロニー・ミルサップ、バーバラ・マンドレルなどもポップ・チャートでの成功を目指した。 1975年、作家のポール・ヘンフィルは『Saturday Evening Post 』で「カントリー・ミュージックはもはや本物のカントリーではなく、アメリカの人気のある音楽全ての融合と言っても過言ではない」と語った。 1980年代初頭、カントリー・アーティストはポップ・チャートでのヒットを目指し続けた。この頃、『ビルボード』誌のシングル・チャートにおいて、ウィリー・ネルソンの『Always on My Mind 』が1982年に第5位、『To All the Girls I've Loved Before 』が1984年に第5位、ジュース・ニュートンの『Queen of Hearts 』が1981年に第2位、『Angel of the Morning 』が1981年に第4位を獲得した。他に1980年晩秋にケニー・ロジャースの『Lady 』が第1位を獲得し、1981年初頭にドリー・パートンの『9 to 5 』とエディ・ラビットの『I Love a Rainy Night 』がかわるがわる第1位を獲得し、1983年にビージーズのBarry, Robin & Maurice Gibb が作曲したパートンとロジャースのデュエット『Islands in the Stream 』も第1位を獲得してポップとカントリーのクロスオーバーでヒットした。ニュートンの『クイーン・オブ・ハーツ・Queen of Hearts 』も上位に入った。1980年代後半にはクロスオーバーでヒットした曲は少なくなり、1989年にはロイ・オービソンの『You Got It 』が唯一ポップ・チャートとカントリー・チャートの両方でトップ10にランクインした。 レコード売上において、プラチナ認定バンドのアラバマがACMアワードで1980年代のアーティスト・オブ・ザ・ディケイドを受賞した。
※この「カントリー・ポップ」の解説は、「カントリー・ミュージック」の解説の一部です。
「カントリー・ポップ」を含む「カントリー・ミュージック」の記事については、「カントリー・ミュージック」の概要を参照ください。
カントリー・ポップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 08:00 UTC 版)
「ナッシュビル・サウンド」の記事における「カントリー・ポップ」の解説
詳細は「カントリー・ポップ」を参照 1970年代後期から1980年代にかけて、多くのポップ歌手がカントリーポリタンのスタイルを用いてカントリー・ミュージックとソフトロックのフュージョンからカントリー・ポップを作り上げた。
※この「カントリー・ポップ」の解説は、「ナッシュビル・サウンド」の解説の一部です。
「カントリー・ポップ」を含む「ナッシュビル・サウンド」の記事については、「ナッシュビル・サウンド」の概要を参照ください。
- カントリー・ポップのページへのリンク