ホテルに対する裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 03:41 UTC 版)
「デュポン・プラザ・ホテル放火事件」の記事における「ホテルに対する裁判」の解説
MGMグランドホテル火災(英語版)などの類似事件と同様に、本件についても遺族の代理人がアメリカの法律事務所から送り込まれた 。 2,300人にのぼる原告らは、 230人の被告を相手に264の訴訟を行い、合計で18億ドルの賠償金を求めた。 これらの訴訟はサンフアンにあるen:United States District Court for the District of Puerto Ricoにてまとめて行われた 。The Court of Appeals for the First Circuit はこれらの訴訟について「おばけ訴訟」( "litigatory monster")だと呼んだ。 裁判の判事を務めたen:Raymond L. Acostaは、裁判を代表となる原告ごとに、複数段階に分けた。1989年3月15日に開かれた最初の裁判では、ホテルを所有していたデュポン社、40のリミテッド・パートナーおよび関連企業、または原告が実質的経営者と見なした個人などから成るデュポン・ファミリーが被告となった。 判決は同年5月11日に言い渡され、被告は8,500万ドルから1億ドルの賠償金の支払いを命じられた。 最初の裁判の判決から45日後に行われた二つ目の裁判は、仕入れ業者やメーカー等に対して製造物責任を問うために行われ、被告は107にのぼった 。 そのうちの多くは和解が成立し、1990年5月14日には残る36の被告に対する裁判が行われた。 9ヶ月の裁判の末、被告のうちジョンソンコントロールズ(代理人:アーンスタイン&レア法律事務所(英語版))、Barber Colman, Inc.( Boston's Cooley, Manion, Moore & Jones)、クァンタム・ケミカル( Quantum Chemical,代理人:Louisville, Kentucky's Brown, Todd & Heyburn)の三社には、法的責任がないという評決が支持された 。 15ヶ月の裁判の末、陪審は1週間の審議を行う評決に至った。陪審は残りの10の被告に対し、法的責任がないという評決に至った 。 最終的に、死亡者並びに負傷者に支払われる金額は2億1,000万ドルに達し、裁判記録には1,000,000 を超える文書が関連していることが記載された。
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