ヘルツェゴビナ【Herzegovina】
読み方:へるつぇごびな
ヘルツェゴヴィナ
(ヘルツェゴビナ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 10:07 UTC 版)
ヘルツェゴヴィナ (Hercegovina/Херцеговина) は、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ南部の歴史的名称。中心都市はモスタル。
- 1 ヘルツェゴヴィナとは
- 2 ヘルツェゴヴィナの概要
ヘルツェゴビナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:08 UTC 版)
以下の例は東ヘルツェゴビナ、ビレチャ・ルディネ郡のヴチニッチ家を中心としたザドルガを元にしたものである。 ザドルガは小さな国家の態を成しており、主権が家族全体に存在、その執行権は年長の男らが勤める家長が所有していた。通常、家長はその家族の中でも最年長の者が選ばれるが、能力によっては別の者が選ばれることもあり、女性が勤めることもあった。家長は家族の財産の管理や諍いの裁定、家族の仕事割り当てを決定することを執り行った。そのため、失敗があった場合や地位の悪用があった場合は他の人と取り替えられる事もあった。 主婦(ドマチツァ)は家の仕事を受け持つがそれは家長の母か妻が受け持つが、別の既婚女性が受け持つ事もあった。女性らは朝、男性らよりの早く起きて仕事を行い、嫁は舅(スヴェカル)や姑(スヴェクルヴァ)に敬意を払わなければならなかったが、女性らが核家族に対して贔屓を行なうために諍いが生じる事もあった。しかし、女性らの地位が低かったわけではなく、「家は土地で持たず、女でもつ」という諺が存在するように母親や姉妹らは尊重され、保護されていた。 サドルガ内では老若男女を問わず自らの役目を果たさなければならず、少年少女であっても大人と同じ仕事を果たすこともあった。 ザドルガは一種の財産所有組合のようなものであったが、個人が財産を所有することも認められていた。近代におけるザドルガ法でもこれは認められており、その財産は直接の相続人に相続されることとなっていた。ただし、この個人財産が原因でサドルガの各家族が独立することによりザドルガが崩壊することもあった。 ザドルガは血縁に基いていたため強い結びつきを持っていた。そのため、男性側の血縁(ムシュカ・クルヴ)、その中でも深い血縁(デベラ・クルヴ)、女性側の血縁(ジェンスカ・クルヴ)、浅い血縁(タンカ・クルヴ)という呼び方からも男性系の血縁が重視されており、父系での相続が優先されていた。また、父系と母系で甥や姪の呼び方が異なり、母方の血縁を父母の母親以上にさかのぼる事はなく、母方の又従兄弟同士は結婚できたが、父方では7代以上さかのぼらないと結婚することはできなかった。
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