ブルボン朝以降とは? わかりやすく解説

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ブルボン朝以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 05:18 UTC 版)

ルーヴル宮殿」の記事における「ブルボン朝以降」の解説

ユグノー戦争中に断絶したヴァロワ家の後、1589年ブルボン家フランス王位を継ぎアンリ4世在位1589年 - 1610年)がルーヴルの「大計画 (Grand Design)」を開始した中世城塞時代からの遺構をすべて破却して中庭クール・カレを拡張するとともにルーヴルテュイルリー宮殿を結ぶ長大回廊建造計画推し進めたのである建築家ジャック・アンドルーエ・デュ・セルソー (en:Jacques II Androuet du Cerceau) とルイ・メテゥゾーが完成したこの回廊はグランド・ギャルリ(大展示室、Grande Galerie)と呼ばれるようになったセーヌ川沿って長さ400メートル超、幅およそ30メートルに及ぶこの長大回廊は、完成当時世界最長建造物だった。アンリ4世は、数百人にのぼる芸術家工芸家ルーヴルに住まわせて芸術活動後援した。この慣習200年後ナポレオン3世廃止するまで続いている。 グランド・ギャルリで結ばれたルーヴルテュイルリー宮殿1615年パリ地図レイニール・ノームス描いたルーヴル南側ファサード1650年頃)。 17世紀初頭ルイ13世が、レスコ翼を北へと倍の長さへの延長決定し建築家ジャック・ルメルシエが1642年ごろに完成させた。このときに延長されレスコ翼の中央棟は、1857年時計設置されたことから「時計棟 (en:Pavillon de l’Horloge) と呼ばれるようになっていった。ルメルシエは、北翼を東へ延伸する第一期工事も手がけている。 1644年頃のルーヴル西側ファサード。ジャック・ルメルシエが北へ延伸したレスコ翼が見える。レスコ終端ボーヴェ棟 (Pavillon de Beauvais)は一階部分しかない。イスラエル・シルヴェストルの銅版画中庭から見たルメルシエが北へ延伸したレスコ翼のファサード。左の作品よりもさらに後世制作されたルメルシエの銅版画で、完成したボーヴェ棟と東へ延伸途中の北翼が見える。 南から見たクール・カレ。破却されている旧ルーヴルの北翼と破却前の尖塔見える。ルメルシエの銅版画

※この「ブルボン朝以降」の解説は、「ルーヴル宮殿」の解説の一部です。
「ブルボン朝以降」を含む「ルーヴル宮殿」の記事については、「ルーヴル宮殿」の概要を参照ください。

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