ブルズvsジャズ 1stラウンドとは? わかりやすく解説

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ブルズvsジャズ 1stラウンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 14:26 UTC 版)

1996-1997シーズンのNBA」の記事における「ブルズvsジャズ 1stラウンド」の解説

シカゴ・ブルズマイケル・ジョーダンスコッティ・ピッペンデニス・ロッドマン史上最高のビッグスリー一つであり、彼らは話題性においても群を抜いていた。 ジョーダン言わずと知れた当時世界で最も有名なバスケット選手であり、コート上、プライベート問わず彼の行動は常に世間注目対象であり、一時苛烈極めたバッシングも彼を襲った身内の不幸と2シーズン空白期間、そして劇的な復活経て沈静化見せ、そして周囲バスケットという範疇超えた存在としてジョーダン語り始めるようになっていた。"悪童"として知られるロッドマンはこのシーズン試合中カメラマン蹴ったとして11試合出場停止処分受けた変わらず破天荒振り見せ、オフコートではシーズン前出版した自伝Bad As I Wanna Beワルがままに)」がベストセラーとなったプライベートではジョーダンロッドマンほど派手ではないピッペンも、以前から燻っていた契約問題対する不満を公に語るようになり、「ブルズ内紛兆候あり」として結局は周囲注目ブルズ集め結果となった。 そして彼らは何より強かった。前季はNBA史上最高勝率となる72勝を記録し、このシーズン前半42勝6敗とNBA新記録ペースで勝ち続け終盤には故障者の続出失速したため2年連続70勝には届かなかったものの、それでも最終的に史上2位タイとなる69勝を記録して他を寄せ付けなかった。シーズン終盤故障者の続出ブルズプレーオフ危ぶまれたが、ブルズ周囲の不安を他所に順調に勝ち進みカンファレンス決勝進出したブルズにとってイースト最大ライバルチームニューヨーク・ニックスであり、毎年プレーオフではブルズ苦しめていたが、この年カンファレンス決勝ブルズ待っていたのは、そのニックス破って初のカンファレンス決勝進出したマイアミ・ヒートだった。ヒートヘッドコーチはかつてニックス率いたパット・ライリーであり、ライリーヒートニックス同様攻撃的強力なディフェンス持ち味チーム育て上げたが、ブルズは4勝1敗でヒート降し連覇目指しファイナル進出した1980年代ロサンゼルス・レイカーズ栄華極めたライリーも、90年代入ってからはジョーダン率いブルズ前に何度も苦杯舐めさせられたため、彼は後にヒート背番号23』をジョーダン功績を讃えて永久欠番とするが、実はジョーダン背番号自分チームでは見たくないからだと言われている。 ブルズ一党独裁体制が続くイースト対しウエスト強豪チーム鎬を削る群雄割拠の時代続いており、ウエストジョーダン不在の2シーズン連覇果たしたヒューストン・ロケッツ除きレイカーズポートランド・トレイルブレイザーズフェニックス・サンズシアトル・スーパーソニックスと、強豪チーム次々とファイナル送り出しているが、尽くブルズ前に散っている。そしてこの年打倒ブルズ目指し満を持してユタ・ジャズファイナル大舞台乗り込んだユタ・ジャズファイナルまでの道のり殊の外険しく1979年誕生して1984年プレーオフに初進出して以来プレーオフ連続出場続けており、1984年のNBAドラフトにはジョン・ストックトンを、翌年にはカール・マローン獲得し1989年ジェリー・スローンHC招聘経て毎年のように50勝以上を記録するウエスト屈指の強豪チーム成長したが、ファイナルには届かない日々続いたマローンストックトンと言えば2人ともリーグ最高峰パワーフォワードポイントガードであり、そのコンビネーション、特にピック&ロール芸術品例えられ2人NBA史上最高のデュオとまで言われたが、彼らをもってしてもファイナル出場困難な道のりだった。1994年にはジェフ・ホーナセック獲得しマローンストックトンコンビ結成され10年目迎えた1994-95シーズンには当時フランチャイズ記録となる60勝を記録するが、プレーオフでは1回戦まさかの敗退喫している。翌1995-96シーズン55勝の好成績記録しプレーオフではカンファレンス決勝進出するも、彼らよりも約5歳年下ゲイリー・ペイトンショーン・ケンプ率いシアトル・スーパーソニックス前に敗れており、それぞれ34歳33歳迎えたストックトンマローンは、優勝機会逸したかに見えた。 しかし彼らは頑丈だった。このシーズン2人は全82試合出場しストックトン10シーズン連続アシスト王の座はインディアナ・ペイサーズマーク・ジャクソン明け渡してしまうものの、アシスト数とスティール数は相変わらず高水準維持しマローンジョーダンに次ぐリーグ2位となる平均27.4得点記録するなど、その実力は健在だった。そしてこのシーズンには4年目迎えたブライオン・ラッセルが急成長見せるという嬉しい誤算もあり、ペリメーターには、ストックトンマローンに次ぐチーム2ndオプションであるホーナセック、ラッセルインサイドにはマローンマーク・イートン以後先発センター務め23歳グレッグ・オスタータグ、シックスマンセンターのアントワン・カーが陣取る充実したメンバーフランチャイズ記録となる64勝を記録しマローンは初のMVP選ばれた。 プレーオフ入りジャズ1回戦カンファレンス準決勝マローンは第4戦でフリースロー18全て決め当時プレーオフ新記録を樹立)を問題なく勝ち抜きカンファレンス決勝ヒューストン・ロケッツ対決ロケッツにはアキーム・オラジュワンクライド・ドレクスラー、そしてこのシーズンから加入したチャールズ・バークレーという、ストックトンらと同世代スター選手が3人も揃っていた。バークレー移籍明らかにチャンピオンリング求めたものであったが、チャンピオンリング欲しいのはストックトンマローン同じだった80年代NBA入りした選手オールスター戦様相呈したカンファレンス決勝は、チャンピオンリングへの執念上回るジャズペース進み、3勝2敗で迎えた第6戦の試合終盤ストックトン決勝ブザービーターとなる3Pシュート決めて、103-100でジャズ勝利した。この瞬間普段沈着冷静知られるストックトン我を忘れて跳ね回りジャズ初のファイナル進出決定する厳格なコーチとして知られるジェリー・スローン両腕揚げコート上を走り回ったジョーダンストックトンは同じ1984年指名され選手であり、マローンはその翌年指名され、約10年歳月経てファイナル大舞台でいよいよ激突することになったジョーダンとピッペン、ストックトンマローンは4人ともこのシーズンオールスター発表され50人の偉大な選手選ばれており、当時リーグ最高峰デュオ同士対決としても注目集め、またジャズスローンHCにとっては現役時代大半とコーチキャリアの初期過ごした古巣との対決となった90年代もすでに後半突入しているが、ファイナル闊歩するのは未だ80年代中盤NBA入りした、いわゆるジョーダン世代呼ばれる選手であり、そして2年連続ファイナル対決することになるブルズジャズ戦いは、そのジョーダン世代最後一大決戦となる。

※この「ブルズvsジャズ 1stラウンド」の解説は、「1996-1997シーズンのNBA」の解説の一部です。
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