ピーターセンハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 15:48 UTC 版)
チャールズ・リール医師を含む付添い人たちは、狙撃されたリンカーン大統領を10番ストリートへ運んだ。リール医師が通りを挟んだピーターセンの寄宿舎に運ぶことを決めたのである。その際、付添い人の一人であった陸軍大尉がこの煉瓦造り、連邦様式の連続住宅へ向かう道をあけた。下宿人であったヘンリー・サフォードは、何が起こったのかを悟り建物の正面にある階段に立って「彼をこっちへ、こっちへ持ってくるんだ!」と叫んだ。それから大統領は居間の後方にある寝室へ運びこまれ、彼の身長には十分に満たない程の長さであったベッドの上へ置かれた。リンカーン夫人であるメアリー・トッドはクララ・ハリスに付き添われて通りを渡った。ハリスは大統領が狙撃された時に一緒にボックス席内で演劇を鑑賞していた人物の一人であり、また彼女の婚約者であったヘンリー・ラスボーン少佐は暗殺の際、狙撃犯のブースに刺され負傷した人物である。ナイフで腕を刺され激しく出血したラスボーン少佐はピーターセンハウスに到着後、そのかなりの失血の為虚脱し崩れるように倒れてしまう。 事件の起きた夜から翌日の朝にかけて、見物人が宿舎内に侵入するのを防ぐため、軍の護衛隊が外を巡回した。群れを成す程の政府関係者と医師達は宿舎内部に入ることを許され、意識不明の状態に陥った大統領に注意を払った。医師たちは、大統領の頭部に入り込み脳を圧迫している、銃弾の傷口に生じていた血の固まりを絶えず取り除いた。しかし、内外部の大出血は夜を徹して続いた。遂にリンカーン大統領は、1865年4月15日午前7時22分、56歳の生涯をこのピーターセンハウスで閉じたのである。
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