ノートン時代(1952年〜1954年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/27 04:23 UTC 版)
「レイ・アム」の記事における「ノートン時代(1952年〜1954年)」の解説
1952年のダッチTTからアムは正式にノートンのファクトリーチームに加わり、500ccクラスはリタイヤに終わったものの、350ccクラスではノートンのエースであるジェフ・デュークに次ぐ2位に入賞した。ソリチュードで開催されたドイツGPではクラッシュにより足首を骨折してしまったアムであったが、シーズン終盤のイタリアGPで復帰すると350ccクラスでグランプリ初優勝を飾った。 1953年、アムはノースウェスト200(北アイルランドで開催される有名なレース)で、流線型のカウリングをまとった「ニーラー」(Kneeler 、「膝立ち」の意。その特異なライディングポジションによる)と呼ばれるノートンの350ccの新型マシンをデビューさせた。「アム・サンドイッチ」あるいは「シルバーフィッシュ」のあだ名を付けられたニーラーはオーバーヒートに悩まされながらも86.86mphの平均速度を記録し、ボブ・マッキンタイヤが制したこのレースで9位となった。 しかし同年のマン島では、予選ではニーラーをテストしたものの、その流線型のカウリングがマウンテンセクションの強い横風に煽られて操縦性が損なわれることを嫌ったアムは決勝レースでは通常型の従来のマシンを使った。アムはジュニアクラスでファーガス・アンダーソンとケン・カバナを抑えて優勝し、マシン選択が正しかったことを証明した。またシニアクラスでも勝利を飾り、ノートンにシニア / ジュニア両クラスのダブルウィンをもたらした。シニアクラスでリタイヤに終わったジェフ・デュークは、「1度レイを追い抜いた後、バラウ・ブリッジ ( en:Ballaugh Bridge ) でシフトミスをして抜き返された。その後もう一度追い抜こうとそのラップが終わるまでプレッシャーをかけたが、レイには全く隙が無かった」と語っている。結局、ニーラーはこの後もグランプリの実戦で走ることはなかった。 その後、ルーアンで行われたフランスGP350ccクラスでの転倒によって鎖骨を骨折し、1953年シーズンのタイトル争いからは早々に脱落してしまった。しかしグランプリシーズン終了後の11月、アムは速度世界記録挑戦のためにニーラー・プロジェクトに復帰し、フランスのモントゥレリー ( en:Autodrome de Linas-Montlhéry ) で1時間に133.70マイル(約215km)を走破して新記録を打ち立てた。また、この時は更なる記録更新のためにエリック・オリバーと共にノートンのサイドカーにも乗車している。 1954年のマン島は、ジュニアクラスではロッド・コールマンが平均速度91.51mphでニュージーランド人初の勝者となり、アムは5周目にリタイヤとなった。シニアクラスは悪天候によるマウンテンセクションの視界不良のため、定刻より若干遅れてスタートした。悪コンディションの中、1周目でジレラ・ファクトリーのジェフ・デュークがアムを14秒離してレースをリードした。2周目はデュークが26分23秒、平均速度86.97mphで周回し、86.49mphのアムをさらに2秒突き放した。天候はますます悪化して豪雨となっている上にマウンテンセクションには低い雲が立ち込めて視界を奪っており、2周目にはペースを落としたアムは低速コーナーではモトクロスのように足を出してコーナリングするほどだった。3周目、デュークが燃料補給のためにストップすると、次の周に給油を予定していたアムがその間にトップに立って逆に32秒リードした。そして4周目、コンディションは酷くなる一方でウィンディ・コーナー ( en:Windy Corner ) では視界が20ヤード(約18メートル)を下回っており、ついにレースの中止が決定された。結果的に4周を無給油で走りきったアムがレースタイム1時間42分46.8秒、平均速度88.12mphでシニアクラスを制したが、後にこのレースは論争の的となった。 この年は、マン島の次のアルスターGPも雨に翻弄されるレースとなった。350ccクラスでは、アムはボブ・マッキンタイヤとジャック・ブレットを抑え、平均速度83.47mphで優勝した。豪雨のために27周から15周に短縮された500ccクラスもアムが83.87mphで制したが、後にFIMは周回数不足のためにこのレースを選手権ポイントから除外する決定を下した。 ドイツGPの350ccクラスでさらに1勝を加えたアムは、500ccクラスではジェフ・デュークに次いで、350ccクラスではファーガス・アンダーソンに次いでそれぞれ1954年シーズンのランキング2位となった。
※この「ノートン時代(1952年〜1954年)」の解説は、「レイ・アム」の解説の一部です。
「ノートン時代(1952年〜1954年)」を含む「レイ・アム」の記事については、「レイ・アム」の概要を参照ください。
- ノートン時代のページへのリンク