ノーザン・パシフィック・コーナー
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「ノーザン・パシフィック鉄道」の記事における「ノーザン・パシフィック・コーナー」の解説
UPのハリマンはCB&Qのトップである「短気な」チャールズ・エリオット・パーキンス(Charles Elliott Perkins)と面会した。CB&Qの経営権は、パーキンスによれば1株200ドルで、ハリマンが支払う予定だった金額よりはるかに高額であった。しかし、NPのヒルはその額に同意し、CB&Qは48.5%ずつ、GNとNPに分割された。NPとGNは提携しているため、ヒル陣営にとってとくに問題はない。 これに対して、ハリマンは親会社であるNPごとCB&Qの経営権を得るという画策を開始した。その策略は、モルガンと敵対していた投資銀行であるクーン・ローブ商会(Kuhn, Loeb & Co.)と、その頭取にしてかつてモルガンの強い影響下にあった銀行家・ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff)ともに進められた。 ハリマンは密かに株を買い進めたため、4月から株価は急騰し、NPの重役までもが株を放出した。1901年5月、NP株がさらに急騰。これが1901年恐慌(Panic of 1901)につながってゆく。5月4日の土曜日、ハリマンはNP株の過半数にあと4千株、というところまでNP株を買い進めており、残る4千株をなんとしてでも買い進めるようにクーン・ローブ商会に命じたが、責任者にしてユダヤ教徒であるシフが寺院の礼拝に出席中であったために注文が実行されずにいた。 同日、NPのヒルがこの動きを察知し、イタリアにバケーションに出かけていたモルガンに対処を尋ねると、価格を問わず発行済み普通株の50%である37万5千株が確保できるよう15万株を買うようにと回答した。ハリマンは優先株をコントロールすることができたが、ヒルは会社の内規で普通株の株主たちが優先株の発行を拒否することができることを知っていた。 このハリマンとヒルの複雑な株の売り買いが株式市場に混乱を引き起こした。土曜、月曜、火曜でNPの株価は70ドルも上がり、水曜日の5月7日は大幅な売買の出来高をともない終値は143ドル。 この大相場は多くの投機筋を刺激し、近い将来の株価下落を見越しての証券会社や金融会社から株を借りての空売りを呼び込んでいた。株価の下落後に株を買い戻せば、その差額が利益となるためである。しかし、NP株は高騰し続けた。それもそのはずでヒルは5月6日の火曜日には調達予定の15万株を市場から買い付けており、一方でハリマンのほうもすでに普通株の49.3%(37万230株)を現物保有していたため、残りは4千株ほどしか存在しておらず、火曜日までヒルが買い入れた15万株さえ受渡し決裁されるかどうかあやしい状態だったのである。市場はハリマンとヒルがNP普通株をめぐってこのような買収合戦をおこなっているとは知らなかったため、大量に空売りがおこなわれてしまっていた。空売りをしてしまった投資家は清算するために市場でより高値で決裁せざるをえず、そのための現物株の売り手はもはや存在しなかった。新たにNP株を売ってくれるのは新たな空売りの売り手だけである。株を借りて空売りをした投機家はその損失を精算せねばならず、その代金を調達するために他社の株の売却をはじめた。 木曜日の5月8日にはとうとうNP株は1000ドルを超えた。ノーザンパシフィックの時価総額は普通株だけで7億5千万ドル、さらにこれと同額の優先株が存在しており、これは当時のアメリカの国家予算5億8千万ドルに匹敵ないしは3倍する額であり、また日本の国家予算約1億2千万ドルの6ないし12倍というとてつもない額となった。この清算のためにニューヨーク証券取引所は開設以来の最大の暴落に見舞われた。それにつられてNP株がついに下落した。 結果としてこの混乱は解け合いによる強制決裁となり、モルガンのパートナーであるジョージ・パーキンズと、もう一方の当事者であるシフとハリマンとがともに動き、空売り側が1株150ドルで買い戻すことを許可することで収束に向かった。 これを1901年恐慌という。また、これらの一連の動きをさして、ノーザン・パシフィック・コーナー(ノーザン・パシフィック鉄道株買い占め事件)という。 結果としてヒルとモルガン側が勝利を収めはしたが、ニューヨーク市場の株価大暴落により一時的にではあれ大打撃をうけることになった。翌年、NP、GN、CB&Qの持株会社ノーザン・セキュリティーズ・カンパニー(Northern Securities Company)を設立した。ここではもはやモルガンとクーンローブは対決することはなく、ハリマンやロックフェラーも参加した。しかし、1904年、反トラスト法のひとつ、シャーマン法に抵触するという理由で解体された。 'Northern Securities Co. v. United Statesを参照'
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