ノーザン・パシフィック・コーナーとは? わかりやすく解説

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ノーザン・パシフィック・コーナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 10:25 UTC 版)

ノーザン・パシフィック鉄道」の記事における「ノーザン・パシフィック・コーナー」の解説

UPのハリマンCB&Qトップである「短気な」チャールズ・エリオット・パーキンス(Charles Elliott Perkins)と面会したCB&Q経営権は、パーキンスによれば1200ドルで、ハリマン支払予定だった金額よりはるかに高額であった。しかし、NPヒルはその額に同意しCB&Qは48.5%ずつ、GNNP分割された。NPGN提携しているため、ヒル陣営にとってとくに問題はない。 これに対してハリマン親会社であるNPごとCB&Q経営権を得るという画策開始した。その策略は、モルガン敵対していた投資銀行であるクーン・ローブ商会Kuhn, Loeb & Co.)と、その頭取にしてかつてモルガンの強い影響にあった銀行家ジェイコブ・シフJacob Henry Schiff)ともに進められた。 ハリマン密かにを買い進めたため、4月から株価急騰しNP重役までもが放出した1901年5月NPがさらに急騰。これが1901年恐慌Panic of 1901)につながってゆく。5月4日土曜日ハリマンNP過半数にあと4千というところまでNPを買い進めており、残る4千なんとしてでも買い進めるようにクーン・ローブ商会命じたが、責任者にしてユダヤ教徒であるシフ寺院礼拝出席であったために注文実行されずにいた。 同日NPヒルがこの動き察知しイタリアバケーションに出かけていたモルガン対処尋ねると、価格問わず発行済み普通株50%である375千確保できるよう15を買うようにと回答したハリマン優先株コントロールすることができたが、ヒル会社内規普通株株主たちが優先株発行拒否することができること知っていた。 このハリマンヒル複雑な売り買い株式市場混乱引き起こした土曜月曜火曜NP株価70ドル上がり水曜日5月7日大幅な売買出来高ともない終値143ドル。 この大相場多く投機筋刺激し近い将来株価下落見越して証券会社金融会社から借りて空売り呼び込んでいた。株価下落後にを買い戻せば、その差額利益となるためである。しかし、NP高騰し続けたそれもそのはずヒル5月6日火曜日には調達予定15市場から買い付けており、一方でハリマンのほうもすでに普通株の49.3%(37230)を現物保有していたため、残りは4千ほどしか存在しておらず、火曜日までヒル買い入れた15さえ受渡し決裁されるかどうかあやしい状態だったのである市場ハリマンヒルNP普通株めぐってこのような買収合戦をおこなっているとは知らなかったため、大量に空売りおこなわれしまっていた。空売りをしてしまった投資家清算するために市場でより高値決裁せざるをえず、そのための現物売り手はもはや存在しなかった。新たにNP売ってくれるのは新たな空売り売り手だけである。借りて空売りをした投機家はその損失精算せねばならず、その代金調達するために他社売却はじめた木曜日5月8日にはとうとうNP1000ドル超えた。ノーザンパシフィックの時価総額普通株だけで7億5千万ドル、さらにこれと同額優先株存在しており、これは当時アメリカ国家予算5億8千万ドル匹敵ないしは3倍する額であり、また日本国家予算1億2千万ドルの6ないし12というとてつもない額となった。この清算のためにニューヨーク証券取引所開設以来最大暴落見舞われた。それにつられてNPがついに下落した結果としてこの混乱解け合いによる強制決裁となり、モルガンパートナーであるジョージ・パーキンズと、もう一方当事者であるシフハリマンとがともに動き空売り側が1150ドル買い戻すことを許可することで収束向かった。 これを1901年恐慌という。また、これらの一連の動きをさして、ノーザン・パシフィック・コーナー(ノーザン・パシフィック鉄道株買い占め事件)という。 結果としてヒルモルガン側が勝利を収めはしたが、ニューヨーク市場株価大暴落により一時的にではあれ大打撃をうけることになった翌年NPGNCB&Q持株会社ノーザン・セキュリティーズ・カンパニーNorthern Securities Company)を設立した。ここではもはやモルガンクーンローブ対決することはなく、ハリマンロックフェラー参加した。しかし、1904年反トラスト法のひとつ、シャーマン法抵触するという理由解体された。 'Northern Securities Co. v. United States参照'

※この「ノーザン・パシフィック・コーナー」の解説は、「ノーザン・パシフィック鉄道」の解説の一部です。
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