ノルマンディ攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:07 UTC 版)
「ネガー (特殊潜航艇)」の記事における「ノルマンディ攻撃」の解説
連合軍が揚陸拠点から離れ、ドイツの潜水艦群がノルマンディーの圏外への移動を強いられる前に、連合国のノルマンディー侵攻艦隊に対し、ネガー艇によって2度の大規模な攻撃が成された。ネガーの小艦隊は約40隻から構成され、ファーベルの森から指揮された。1944年7月の5日から6日、24隻のネガー艇が侵攻艦隊を攻撃し、2隻のイギリス軍掃海艇、HMSマジックおよびHMSカトーを撃沈した。ネガー艇は9隻のみが作戦から帰投した。 第二次攻撃は7月7日から8日の夜間に設定され、21隻のネガー艇により実施された。ネガー艇は一次攻撃とは異なり月光に照らし出されて存在が暴露され、航空機と艦艇により攻撃を受けた。ドイツ軍は攻撃の中で掃海艇HMSパイレーデスを撃沈し、またポーランド軍の巡洋艦、ORPドラゴンを大破させた。ORPドラゴンは後に放棄された。ポットハスト少尉候補生による、この時のドラゴンへの攻撃の詳細なレポートが存在する。1944年7月20日、イギリス海軍の駆逐艦であるHMSイシスはセーヌ湾に投錨中に触雷したが、この喪失は翌朝まで発見されなかった。20名の生存者がおり、この艦の撃沈についてドイツ軍の「人間魚雷」が疑われた。 1944年8月3日、ハント級駆逐艦であるHMSクォーンは、ネプチューン作戦のあいだ兵員を輸送する船団の護衛に就いていた。これはノルマンディ上陸を行うオーバーロード作戦を海軍が支援するものだった。8月3日、HMSクォーンはSボート、爆薬を搭載したモーターボート、人間魚雷と低空飛行する航空機などの兵力により、イギリスが担当した攻撃エリア上で激しい攻撃を受けた結果撃沈した。最初の攻撃から生き残った者は救出までに水中に8時間留まらざるを得ず、漂流した4名の士官および126名の水兵が戦死した。 1944年秋以後、損害の高さによりネガーの攻撃は中止となり、残存艇は出撃の機会を待ちつつ待機することとされ終戦を迎える事になる。
※この「ノルマンディ攻撃」の解説は、「ネガー (特殊潜航艇)」の解説の一部です。
「ノルマンディ攻撃」を含む「ネガー (特殊潜航艇)」の記事については、「ネガー (特殊潜航艇)」の概要を参照ください。
- ノルマンディ攻撃のページへのリンク