チルパンシンゴ議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:44 UTC 版)
「ホセ・マリア・モレーロス」の記事における「チルパンシンゴ議会」の解説
1813年、チルパンシンゴ議会を召集した。議会は、モレーロスの管轄下にある各地域の代表から構成され、彼の「国民意識」(西:"Sentimientos de la Nación")という文書で形づけられていた社会的・政治的なプログラムを検討するために設置された。議会は古代アステカの地名に因んで「アナワク議会」と自称した。 1813年9月13日、議会は「国民意識」を承認した。文書ではメキシコのスペインからの独立を宣言し、カトリックを確立させ、政府に行政、立法、司法の各機関を設けることなどを明記した。個人の財産権の尊重を宣言し、植民地政府の生産物を没収するとした。また、メキシコで生まれた者全てを含んだ「アメリカ人」の名のもとに奴隷制と人種分離を禁じ、拷問、寡頭政治、朝貢などの制度も廃止することなどが含まれた。以前から、モレーロスは、インディオ、メスティーソ、ムラートなどの差別的呼称は廃止すべきであり、メキシコで暮らす者は皆平等に「アメリカーノ」と呼ばれるべきだと主張していた。議会はモレーロスに「総統」の役職名を提案したが、それを断り、「国家奉公人」と呼ぶように要請した。議会は1813年11月6日に独立を宣言した。 その後、軍事的には敗北が続いたが、議会をアパチンガン(Apatzingán)に移し、1814年10月22日、アパチンガン憲法(正式名は「アメリカ・メヒカーナの自由のための憲法令」、西:"Decreto Constitucional para la Libertad de la América Mexicana")を公布した。弱い行政府と強い議会を基本とし、モレーロスの求めたものと多少異なったが、彼は譲歩した。
※この「チルパンシンゴ議会」の解説は、「ホセ・マリア・モレーロス」の解説の一部です。
「チルパンシンゴ議会」を含む「ホセ・マリア・モレーロス」の記事については、「ホセ・マリア・モレーロス」の概要を参照ください。
- チルパンシンゴ議会のページへのリンク