チルバからムワナワサへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 09:45 UTC 版)
「複数政党制民主主義運動」の記事における「チルバからムワナワサへ」の解説
2001年12月27日に大統領選が実施され、MMDからはチルバから後継指名を受けた元副大統領のレヴィー・ムワナワサが出馬し、当選した。だが得票率はわずか29.1%に留まり、2位で国家開発統一党(UPND)候補のアンダーソン・マゾカに27.2%と、あわや落選というところまで迫られた。議会選でもMMDは第一党の座を保ったが、150議席中69議席と、前回の半分近くにまで議席を減らした。 ムワナワサ政権では、それまでの強権支配体制は見直され、ザンビア国民の貧困状態についてムワナワサ自身が謝罪。また2002年7月よりチルバ前政権下での腐敗の追及を開始した。2003年にはチルバが公金横領などの容疑で訴追され(チルバは容疑を否認)、ムワナワサ政権が前政権の「負の側面」を清算していく姿勢を示した。またIMFの支持に基づき、閣僚、官僚の給与を30%カットするなど、支出削減政策でも成果を挙げた。
※この「チルバからムワナワサへ」の解説は、「複数政党制民主主義運動」の解説の一部です。
「チルバからムワナワサへ」を含む「複数政党制民主主義運動」の記事については、「複数政党制民主主義運動」の概要を参照ください。
- チルバからムワナワサへのページへのリンク