ダルマ・シャーストラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 04:35 UTC 版)
ダルマ・シャーストラ(サンスクリット:धर्मशास्त्र、dharmaśāstra)は、広義には紀元前6世紀ころから19世紀中葉まで絶えることなく書き続けられてきたインド古法典の総称でダルマ・スートラ(律法経)を含む[1][2]。通常、「法典」と訳し、「ヒンドゥー法典」とも称される[2]。
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注釈
- ^ ダルマ・ニバンダは古い法典類の条文を抜粋して編んだ実用的法規集であり、諸王やイギリス当局によって編纂が求められ、実際の裁判で用いられた[4]。
- ^ ダルマの原義は「支えを保つ」である[5]。これを、人間を人間たらしめるものと解釈すれば「真実」、宗教者にとっては「教え」「教法」となり、社会的脈絡のなかでは「倫理」となる[5]。これが共同体のなかで強制力をともなう行為パターンとして固定するならば「義務」「法律」というような意味になる[5]。ダルマの内容と権威はすべてヴェーダにもとづいているが、ヴェーダそのものは天の声、神の啓示と考えられているのに対し、ダルマ・シャーストラはヴェーダをより詳細なものとし、言葉足らずな部分を補うための、賢者聖人が教えた権威ある聖伝聖典(スムリティ)と考えられている[5]。
- ^ バラモン教に由来する3つの学派には、ヴェーダーンタ、サーンキヤ、ヨーガがある[7]。
- ^ ムンシフとはインド人下級判事のこと。地方裁判所の下に置かれた[9]。
- ^ そのため、たとえば『マヌ法典』では、第5のヴァルナは存在しないとされているが、実際のインド社会には不可触民諸カーストをふくむ多様なカースト集団が存在していたので、イギリス当局は多種多様なカーストを4種姓のサブ・カーストとみなして対処した[9]。イギリス統治下ではしたがって、不可触民という範疇は法的には存在しないこととなった[9]。また、この政策は、全インドを対象とする国勢調査が導入され、そこに調査項目としてカーストが加えられたことによって、人々が自らのヴァルナ帰属を強く意識することになり、それぞれのカーストの広域的な連合を強化する現象を引き起こした[9]。
出典
- ^ a b 『南アジアを知る事典』 (1992)
- ^ a b c d e 『ダルマ・シャーストラ』 - コトバンク
- ^ a b c d e f 藤井(2007)p.2
- ^ 『ダルマ・ニバンダ』 - コトバンク
- ^ a b c d 奈良(1991)pp.147-150
- ^ a b c d 山崎・辛島(2004)p.98
- ^ M.エリアーデ(2000)p.69
- ^ 奥平(2002)p.1
- ^ a b c d e 小谷・辛島(2004)pp.312-314
- 1 ダルマ・シャーストラとは
- 2 ダルマ・シャーストラの概要
- 3 周辺国や後世への影響
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