ジャスパー・コーポレーションからキンボール・インターナショナルへ
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「キンボール・インターナショナル」の記事における「ジャスパー・コーポレーションからキンボール・インターナショナルへ」の解説
ジャスパー・コーポレーションは、1950年にインディアナ州ジャスパー(英語版)で、テレビ受像機のキャビネット、台所のキャビネット、オフィス家具などを製造する企業として設立された。ジャスパーは、テレビ関係の売り上げの拡大や、垂直統合への投資によって繁栄し、自社一貫生産を実現した。1959年、ジャスパー社 (Jasper, Inc.) は、W・W・キンボール・カンパニーを完全に所有する子会社とした。ジャスパーは、キンボールのピアノ製造を1961年に、ジャスパーの町から26マイル (42 km)ほど北東のウェスト・バーデン・スプリングスに移した。インディアナ州で製造された最初期のピアノは、品質に問題を抱えていたが、この問題は解決され、ピアノの質は向上した。1966年、ジャスパーはオーストリアの有名なピアノ製造会社ベーゼンドルファーを買収した。 1969年の時点で、キンボールは世界最大のピアノ製造会社に返り咲いていた。1960年代から1970年代にかけての最盛期には、年間およそ100,000台ほどのピアノとオルガンを生産していた。平均的な1日には、250台のピアノと150台の電子オルガンが工場から出荷されていた。インディアナ州のキンボールから出荷されたグランド・ピアノは、比較的小型の4-フィート-5-インチ (135 cm)モデルから、大型の6-フィート-7-インチ (201 cm)モデルまで多様であった。ウィーンでは、傘下のベーゼンドルファーがコンサート用のグランド・ピアノを製造しており、最も大型では 9 フィート 6 インチ (290 cm)のベーゼンドルファー・モデル290がある。キンボールは、アップライト・ピアノも42インチ (110 cm)と46インチ (120 cm)のサイズを製造しているが、より小型のスピネット・モデルは製造していない。この方針は、競争相手たちに、より大きな利益を出す余地を与えていた。ただし、キンボールは、アップライトとスピネットの中間サイズの、安価なコンソールのピアノをテキサス州との国境に近いメキシコのレイノサは下請け工場においてキムコ (Kimco) というブランドで製造している。 ピアノやオルガンの売り上げの成功を踏まえ、ジャスパーはキンボールのブランドの力を梃子にして、オフィス家具や家庭用家具、電子機器の認知度を押し上げようとした。キンボールのブランドの方が、ジャスパーのブランドよりも、はるかに大きな認知を得ていることを認識した経営陣は、1974年にジャスパーの社名を、キンボール・インターナショナルに変更し、1976年9月に普通株500,000株の公開会社に移行した。 キンボール・インターナショナルは、1869年創業のニューヨークのピアノ製造業者クラカウアー・ブラザーズを、1980年に買収した。キンボールは5年間にわたってニューヨークでクラカウアーを経営したが、結局は工場を閉鎖した。 1980年代から1990年代にかけて、世界的にピアノやオルガンの購入量が減っていったため、キンボール傘下のピアノやオルガンは、1996年2月に製造が止められた。キンボールが最後に製造したグランド・ピアノは、製造に関わった従業員や会社の役員全員がサインをして、インディアナ州ジャスパーのキンボールのショールームに残されて、展示されている。ベーゼンドルファー・ブランドのピアノには、何らの影響もなかったが、ベーゼンドルファーは2002年にオーストリアの買い手に売却された。
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