サキャ派が出来るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:09 UTC 版)
サキャ派は中央チベットのツァンに栄えたクン族(コンとも書かれる)による宗派である。クン氏の伝承によると、クン氏の祖先は神の子であった。吐蕃時代のティソン・デツェン王の頃から歴史に登場し、コン・ペルポチェは大臣を務めている。また、インドからの渡来僧シャーンタラクシタに得度を受けたルイ・ワンポはチベット最初期の僧の一人とされる。 後にサキャ派の開祖となるコンチョク・ギェンポ (dKon-mchog rgyal-po) (1034年 - 1102年) は、在家の行者であった。コンチョク・ギェンポは、当初はチベット古来からの仏教であるニンマ派の教えを受けたが、規律の緩みはじめていたニンマ派の教えに飽き足らず、兄のシェーラプ・ツルティムに命じられてドクミ ('brog mi) の門下となった。ドクミはインドから来た高僧ガヤダラの弟子で、インドのヴィクラマシーラ寺 (en:Vikramashila University) で数年学んだ学者・翻訳家である。ドクミはサンスクリット文字の原典をチベット語に翻訳した『カーラチャクラ(時輪)タントラ』をコンチョク・ギェンポに授け、これがサキャ派の教義の基盤になった。 コンチョク・ギェンポは1073年、チベット南部のシガツェにあるポンボ山 (dPon po ri) ポンポリの白い土地を吉祥と見て寺を建てた。そのため、コンチョク・ギェンポの始めた教義は「白い土地」を意味する「サキャ」と名づけられた。また、この寺が後のサキャ寺である。 サキャ寺院を開いたのはコンチョク・ギェンポであるが、サキャ派の初代座主はコンチョク・ギェンポの兄のシェーラプ・ツルティムとされ、コンチョク・ギェンポは2代目座主と呼ばれている。
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