カメルーンとの交流
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カメルーンとの交流は、2002 FIFAワールドカップにて中津江村が出場国の事前キャンプ地に立候補し、カメルーンのキャンプ地に選ばれたのが始まりである。サッカーカメルーン代表チームの当初の来日予定は2002年5月19日だったが、選手による出場ボーナス増額要求交渉によって日本への出発が遅れ、カメルーン航空のチャーター機がフランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港を飛び立ったのが5月22日1時(現地時間)であった。出発後も給油地のエチオピアとインドで予定より数時間ずつ遅れた上、カンボジアとベトナムの領空通過の許可を得ていないことが判明し、タイのバンコクで足止めとなった。そのため代表チームの到着は更に遅れ、5月23日23時38分に福岡空港に到着し、中津江村には5月24日3時すぎに到着した。この騒動が日本中から注目を向け、同年12月に発表された新語・流行語大賞には「W杯(中津江村)」が選ばれた。 その後もカメルーンとの交流が続き、カメルーン駐日大使が来訪したり当時の村長が公務でカメルーンを訪問する事もあった。カメルーンが本大会に出場した2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会、2014 FIFAワールドカップブラジル大会では、旧村民あげてカメルーンを応援した。また、2002年ワールドカップカメルーン代表のひとりでJリーグのガンバ大阪などでも活躍したパトリック・エムボマも、引退表明後に旧中津江村でサッカー教室を開催した。2021年に開催された東京オリンピックにおいて、カメルーン選手団は7月5日から18日(一部は27日)まで日田市で事前キャンプを行い、その中の7月15日には同選手団26人が中津江村を訪問して鯛生スポーツセンターで歓迎式を受けた。新型コロナウイルス問題により、選手団と一般住民との直接交流は行われなかったが、当日は住民が沿道でカメルーン国旗の小旗を振り、歓迎式では住民が手作りした手提げバッグなどの応援グッズがカメルーン選手団に贈呈された。
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