海老原博幸
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海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - 1991年4月20日)は、日本の男性元プロボクサー。東京都福生市出身。本名は松田博幸。協栄ボクシングジム所属。元WBA・WBC世界フライ級王者。日本人初のWBC世界王者かつ二団体統一世界王者(ただし当時はWBA・WBC分立前だったため、公式には統一王者とはみなされていない)。東京都立第五商業高等学校中退。
- 1 海老原博幸とは
- 2 海老原博幸の概要
- 3 主な戦績
- 4 関連項目
カミソリ・パンチ
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同時期のライバルで後に親友となるファイティング原田(東日本新人王決勝で両者は対決し、原田の判定勝ち)は「海老原は天才だった」と述べており、名王者リカルド・ロペスも大橋秀行との対談で海老原の実力を高く評価している。当時数多くの強豪が犇いていたフライ級の戦線で原田にこそ敗れたが、三羽烏のライバル青木勝利、東洋王座を10度防衛する中村剛(通算4戦して3勝1分)、後の世界王者チャチャイ・チオノイ、そして現役世界王者ポーン・キングピッチを初回KOで国内歴代3位となる29連勝(世界戦を除いた戦績は62戦61勝1敗)を達成、連勝ストップ後も海外で後の世界王者アラクラン・トーレスに2勝するなどフライ級では屈指の実力者であった。その実力の高さから、ポーンを破り世界王座を獲得したサルバトーレ・ブルニ( イタリア)の陣営が頑なに海老原との対戦を拒んだというエピソードもある。天性のリズムと絶妙のタイミングから放たれる左ストレートは、カミソリ・パンチと称され、その強打を駆使し国内歴代2位となる33KOを記録。師匠で数多くの世界王者を育てた金平も「最もパンチ(力)があったのは海老原だ」と語るほどである。また精神力も高く、試合中に拳を骨折しながら試合終了まで耐える事もしばしばであり、海老原を含む多くの世界王者を育てた名トレーナーエディ・タウンゼントも後に「一番ガッツがあったのは海老原だった。海老原は本当の男だ」と語っている。 上記の通り、その強打からボクサーとしては致命傷とも言える7度の拳の骨折を経験した。2度目のタイトルを獲得したホセ・セベリノ戦では試合前に骨折した右拳に打ち込んだ麻酔が試合中に切れてしまった上、途中左拳も痛めたが、激痛を堪えてフルラウンド戦った。また現役最後の試合となったバーナベ・ビラカンポ戦でも試合序盤に右拳の骨折と左肩の脱臼を引き起こしたが、フルラウンド戦い抜いている。
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