オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派の意味・解説 

オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 10:31 UTC 版)

フランシスコ会」の記事における「オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派」の解説

カプチン・フランシスコ修道会」も参照 1378年から1417年にかけてのいわゆる教会大分裂」の時代には、フランシスコ会それぞれの教皇支持して分立する状態となった。 教会大分裂おこったときの総長はレオナルド・ロッシ(英語版であったが、アヴィニョン教皇クレメンス7世支持したために、ローマ教皇ウルバヌス6世はルドヴィゴ・ドナティを総長代理とするなどフランシスコ会人事介入した1409年ピサ公会議派の教皇アレクサンデル5世選出されると、当時ローマ派の総長アントニオ・ヴィニティはピサ派に同調しローマ別の総長立てフランシスコ会三分した分立した各教皇自派フランシスコ会引き込んでさまざまな恩典付与したために、フランシスコ会再び分裂したのみならず内部腐敗進み、「清貧」の精神弛緩したそれぞれの総長自己の基盤をより確実なものにするために、これに乗じてさまざまな特典を会士たちに与えたので、規律乱れはいっそう増長した1471年ローマ教皇就任したシクストゥス4世(コンヴェンツアル派)が教皇選ばれ理由1つ学識の高さであり、もう1つ有力者気前よく賄賂送ったことであった教皇になってからも6人もの甥を枢機卿任じて親族登用おこない縁故主義により親類縁者金銭役職惜しみなくあたえた一方修道会内では、14世紀後半以降15世紀にかけて、このような修道会内部腐敗厳しい批判を向け、会則厳格に守ろうとする運動起こってきた。彼らの標語会則遵守(レグラーリス・オブセルヴァンティア、Regularis observantia)」から、このような改革派原始会則派)をオブセルヴァンティス派といい、かつてのスピリトゥアル派的主張吸収した。これにに対して保守派修道院派)はコンヴェントゥアル派と呼ばれた。コンヴェントゥアル(コンベンツァル)とは、「Convent」(共住・修道院)の語に由来するもので、当時都会所在する修道院やそこに定住する会員指した。この呼称は、聖フランシスコ生きていた時代から存在した会則派(改革派)の運動継続的なものとなり、やがてフランシスコ会主流占め、さらに、16世紀には会則派のなかから、イタリアのレフォルマーティ派、フランスのレコレクト派、スペインアルカンタラ派など内部改革運動生じた1517年教皇レオ10世によってコンヴェンツアル派と改革派正式に分割されたが、正式な修道会としての成立レオ十三世治世を待つ。主流派改革派となった1525年には、イタリアのサン・ポーロ・デンツに近いモンテファルコーネ修道院でマテオ・ダ・バッシ(英語版)(マテオ・バスキ)が改革派(オブセルヴァンティス小さき兄弟会)のなかから後の「カプチン小さき兄弟会」を起こしたカプチン会は、1528年ローマ教皇教皇クレメンス7世認可を受け、こうして、修道会派・会則派・カプチン会3つの分派成立した1538年には南イタリアナポリクララ会から分派した女子カプチン会創設されている。カプチン会当初は「コンベンツァル小さき兄弟会」の庇護にあったが、1619年認可され独立修道会となった

※この「オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派」の解説は、「フランシスコ会」の解説の一部です。
「オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派」を含む「フランシスコ会」の記事については、「フランシスコ会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派」の関連用語

オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オブセルヴァンティス改革運動とカプチン会、コンヴェントゥアル派のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフランシスコ会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS