オクラホマ_(戦艦)とは? わかりやすく解説

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オクラホマ (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 23:51 UTC 版)

オクラホマ (英語: USS Oklahoma, BB-37) は、アメリカ海軍戦艦[注釈 1]ネバダ級戦艦の2番艦[3][注釈 2]姉妹艦ネバダ (USS Nevada, BB-36) [5]。本級はアメリカ海軍における標準型戦艦の嚆矢であり、集中防御方式を採用した最初期の戦艦[6]。艦名はオクラホマ州にちなむ。「オクラホマ」は蒸気タービンの代わりにレシプロエンジンを主機に採用した最後のアメリカ軍艦艇であり、最後まで振動問題に悩まされた。また竣工時のニューヨーク級戦艦およびネバダ級戦艦と改良型のペンシルベニア級戦艦籠マスト (Lattice mast) を備えていたが[7]戦間期の改装で三脚檣となった[8][9]


注釈

  1. ^ 戰艦“オクラホマ Oklahoma[2] 全要目{排水量29,000噸 速力20節 備砲36糎砲10門 13糎砲12門 起工1912年10月 竣工1916年5月 建造紐育造船會社} 全長177.69米、幅32.69米、平均吃水8.38米。軸馬力25,000馬力。備砲は上記の外に13糎高角砲8門を装備す。先年700百萬弗を投じて改装を施したが、その主なる改装個所はマストをカゴ式から三脚にしたこと、主砲の仰角を30度に増大したこと、汽罐を石炭主用より重油専燃としたこと等である。 / 同型艦“ネバダ Navada これは“オクラホマ”と要目すべて同一。1916年3月フオアリバア會社で竣工したもので先年“オクラホマ”同様改装を完了した。尚この2隻の航續力は全速力で4,000浬、10節で10,000浬と云はれて居り重油搭載量は2,000噸である。
  2. ^ NHKアーカイブス「特報ハワイ大空襲」、大本営発表で「オクラホマ型戦艦」の表記が使用されたこともある[4]
  3. ^ Battleship Rowは、二次資料でも翻訳に差異がある。戦艦桟橋、戦艦通り、戦艦横丁[28]、などの事例がある。
  4. ^ 修理後の「シカゴ」(艦長Ralph Otis Davis大佐)も、1943年1月下旬のレンネル島沖海戦で撃沈された。
  5. ^ (米海軍の誇りであつた頃のオクラホマ號)[19] 一九四一年十二月七日、折柄眞珠灣に碇泊中の戰闘艦オクラホマ號は日本潜水艇の襲撃で半ば沈没し、乗員も殆ど犠牲となつたことは、未だ記憶に新たなる所であるが、同艦は、その後引揚げ修理を施され實戰にも参加したが今年いよいよ廢艦の列に入り加州のジャンク會社が買取り、解體する事となつた。そのためオクラホマ號は去る五月馴染み深き眞珠灣に最後の別れを告げ二隻の海軍タッグボートに牽引せされ、屠所に向ふ羊の如く、スロースピードで加州へ航行中ホノルルより五百三十五哩の海上で急に左舷へ傾斜し始めた。曳船よりは刻々オクラホマ號の状況を電報して來たが昨夕遂にホノルルより六百哩のあたりで沈没した。第一次第二次大戰の『老武者』は生きてジャンクに拂下げの憂き目を見るより、潔よく太平洋海底の藻屑となり軍艦らしい最後を遂げたいと靈あるものの如く自沈したのだろうと古い海兵たちは云つてゐる。オク號沈没の際は一人の乗員もなかつた由である(記事おわり)

出典

  1. ^ a b c d e パール・ハーバー 1991, p. 180.
  2. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 113(原本208-209頁)戰艦オクラホマ
  3. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 78a-83戦艦ネヴァダ級/真珠湾の悲劇から復活した不屈の戦艦
  4. ^ a b 特報ハワイ大空襲”. NHKアーカイブス. 2023年12月28日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 眞珠灣で撃沈された戰闘艦オクラホマ號 引揚げの上修理を了し再就役す”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1944.10.24. pp. 04. 2023年12月28日閲覧。
  6. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 118a-119アメリカ/ネバダ級
  7. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 120–121アメリカ/ペンシルバニア級
  8. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 102(原本186-187頁)戰艦オクラホマ
  9. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 116–117アメリカ/ニューヨーク級
  10. ^ a b マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 97–101パールハーバー奇襲
  11. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, pp. 20–21(1941年12月7日、真珠湾艦艇配置図)
  12. ^ a b パール・ハーバー 1991, pp. 182–183機動部隊ハワイ攻撃隊の編制と指揮官たち
  13. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 77.
  14. ^ a b 眞珠灣の引揚げ作業 撃破された艦艇十九隻中五隻を除けば既に完了!”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1943.05.24. pp. 04. 2023年12月28日閲覧。
  15. ^ a b 撃沈されて二年後に引揚げ作業を完了 オクラホマ號船渠入り”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1944.02.15. pp. 05. 2023年12月28日閲覧。
  16. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 119.
  17. ^ a b 戰艦オクラホマ四萬弗で身賣り 數奇な運命へ終止符”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1946.12.03. pp. 04. 2023年12月28日閲覧。
  18. ^ 舊戰闘艦オ號 桑港へ曳航 愈々屑鐡に解体”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1947.05.07. pp. 09. 2023年12月28日閲覧。
  19. ^ a b 老戰艦オクラホマ號 哀れ海上で自沈 桑港へ曳航される途中”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1947.05.17. pp. 11. 2023年12月28日閲覧。
  20. ^ 兵學校生徒を下艦 オクラホマ號 西班牙出動”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1936.07.22. pp. 08. 2023年12月28日閲覧。
  21. ^ 米國軍艦急派”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1936.07.23. pp. 01. 2023年12月28日閲覧。〔 (華府廿一日)スペインに於ける騒擾に鑑み、米國政府は廿一日戰艦オクラホマ號並に甲級巡洋艦クエシー號の二隻をスペインに急行せしめ、米國人救護に當らせることゝなつた。(記事おわり)〕
  22. ^ 練習艦オクラホマ號出港”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1938.07.06. pp. 05. 2023年12月28日閲覧。
  23. ^ パール・ハーバー 1991, p. 18.
  24. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 1441941年(昭和16年)12月7日朝、パールハーバーにおける米太平洋艦隊の配置
  25. ^ 大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録(1) 1942, p. 15彼我の海軍勢力一瞬にして逆轉 猛爆に喘ぐ米太平洋艦隊群
  26. ^ a b 掴めなかった勝利 1994, p. 51.
  27. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, pp. 16–17吾ガ必殺ノ猛襲下ニ惨憺タル的主力艦群
  28. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 45.
  29. ^ トラトラトラ 2001, p. 294真珠湾奇襲戦果図
  30. ^ ニミッツ 1962, p. 19第1図 1941年12月7日午前7時55分の真珠湾
  31. ^ トラトラトラ 2001, pp. 230–231真珠湾攻撃飛行機隊編成区分表
  32. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 90(付録)第一次攻撃隊の編制
  33. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, pp. 142–145第一攻撃隊の襲撃
  34. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 73–77第1波の攻撃/雷撃
  35. ^ トラトラトラ 2001, p. 285.
  36. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, pp. 50–51真珠湾、第一次攻撃0750~0810時
  37. ^ ニミッツ 1962, p. 21.
  38. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 47.
  39. ^ トラトラトラ 2001, pp. 289–290.
  40. ^ パール・ハーバー 1991, p. 160(8-3)転覆して艦底部を海面に出したオクラホマ。後方はメリーランド
  41. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 87(真珠湾攻撃後の戦艦横丁の写真および解説)
  42. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, pp. 168–169.
  43. ^ サボ島沖海戦 1988, p. 135.
  44. ^ 掴めなかった勝利 1994, pp. 305–307.
  45. ^ サボ島沖海戦 1988, p. 282.
  46. ^ サボ島沖海戦 1988, p. 286.
  47. ^ 戰爭が終つて“失業”の廢艦 約百隻眞珠灣に繋留”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1946.08.26. pp. 08. 2023年12月28日閲覧。
  48. ^ トラトラトラ 2001, p. 410.


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