エンジン P
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 04:06 UTC 版)
1931年1月9日、フランス砲兵部門は公式に「タイプ P」の仕様を出した。これは「véhicule antichar」、つまり自走砲仕様になるもので、戦車駆逐車としてマジノラインに配備された。当時のルノーはこの計画を1年前に知らされており、すでに試作車の開発を進めていた。最初の計画では非常に小型の装軌車両になると想定しており、「chenillette」は1.5t以上の車重にならず、開けた部分に三脚架を据えて25mm口径の対戦車砲を装備するものだった。この戦車砲は取り外しができ、車両で運んだ後に地面に据えることもできた。 しかし同年、25mm対戦車砲はルノー UE「chenillette」によって牽引されることが決定され、「タイプ P」はもともとの企画の余剰物となった。そこで砲兵部門では装甲を減らし、より強力な砲口初速860m/sの37mm Modèle 1934要塞砲を据えると決めた。この砲はいまだ国立の兵器工廠「Atelier de Puteaux」で開発中だった。 1932年、ルノーはAMR 33(N° 81805)の車体を用い、標準的なAMR 33の形とほぼ同じ試作車を完成させた。ただし砲塔は欠けており、また車体上面がかさ上げされていた。上部構造前方の中央あたりに搭載砲のための区画が設けられていた。その左方に操縦手が座る。ほぼ全ての利用可能な空間がそれで占められていた。装填手は床に座ることで問題を解決しており、彼の延ばす足は砲閉鎖機の下に位置している。また彼はこの窮屈な配置で装填を行うものと想定され、右手で107発の収納された砲弾を取り出す事とされたが、弾薬庫は車体後部左側に配置されていた。ここは普通のAMR 33ならば後部出入り口があった場所である。三人目の乗員である車長は右側に座り、車体の天井とエンジンとの間に挟まれていた。車長にほぼ空間的余裕はなかった。 ピュトー作業所は唯一の試作車を仕上げ、1935年春に「エンジン P」と名づけた。主砲が搭載されたのち、車重は4565kg、最高速度は54.1km/hとなった。1935年4月18日、CEMAV(Commission d'Expériences du Matériel Automobile de Vincennes)は試験後に非常に否定的な見解を発表した。「古くて旧式化したモデル……実戦に投入する能力はない」さらに6月24日、「Conseil Consultatif de l'Armement」は将来的に口径47mmまでの火砲はルノー UEを改修した後期型によって牽引されなければならないと決定した。実際にはこうした対策は生じることはなかったが、この結果、エンジン Pは不採用となった。
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