ウナグヒメについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:12 UTC 版)
「宇奈岐日女神社」の記事における「ウナグヒメについて」の解説
現在の祭神は、上記のように6柱の神々である。一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれていることから、当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている。「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと推測されている。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある(後述)。 このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神であるウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。男が蹴破った結果水が抜けた湖は盆地となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという。大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある。しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されたこと等もあり、考古学的・地質学的には湖伝説の真偽は明らかとされていない。伝承の考証として、ウナグヒメを『豊後国風土記』にも見える「速津媛」(速見郡の由来)とする説や、ヒメヒコ制の指摘がある。 なお、大分県から発見された古文書『ウエツフミ』によると、ウナギヒメは綿花の栽培を司る神様であり、このあたり一帯がユフ(木綿)と呼ばれていたことからも、かつては木綿の栽培地であったことが推測される。鎌倉時代に、この『ウエツフミ』を書き著したのは初代・豊後国主の大友能直公であり、その記述は参考に価する。
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