イスラムの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:28 UTC 版)
ビザンティンの支配下にあったシリアはイスラム国家の侵略を受ける。638年または639年にエピファニアも征服され、アラム語のハマトという旧名が(アラビア語のハマー(Hama(h))という形で)蘇った。ハマーは移住してきたアラブ人により徐々にアラブ化され、ウマイヤ朝やセルジューク朝などの支配を受ける。 十字軍の時代、アンティオキア公国の摂政タンクレードは1108年にハマーを落としたが1115年にはムスリムが奪還した。1178年にはサラーフッディーンが地方政権を破ってこの街に入り、以後彼の子孫であるアイユーブ朝がハマーを支配した。その後はエジプトのマムルーク朝が受け継いだ。この時期のハマー出身の有名人には、伝記作者・地理学者のヤークート・アル=ハマウィー(Yaqut al-Hamawi、1179年 - 1229年)がいる。またマムルーク朝初期のハマーの長官アブ・アル=フィダ(Abu al-Fida、1310年から1330年まで統治)は歴史家・地理学者でもあった。 16世紀初頭にオスマン帝国がハマーを手にし、この時期に宮殿や邸宅(うち、アル=アザム宮殿は現存するシリア最古のオスマン帝国地方長官の邸宅である)が建てられた。オロンテス河畔の都市ハマーは当時人口45,000人の大きな街で、ダマスカスの州長官の指示を受ける県長官が住んでいた。人口の半分以上はムスリムで、その他10,000人ほどがさまざまな宗派のキリスト教徒だった。
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