アニメ誌でのデビューとは? わかりやすく解説

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アニメ誌でのデビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 08:41 UTC 版)

ゆうきまさみ」の記事における「アニメ誌でのデビュー」の解説

まんが画廊みのり書房パロディ漫画描け人物を捜しているとの情報得たゆうきは、同社訪れてアイデア見せOK出たため漫画執筆して持ち込む『機動戦士ガンダム』パロディ作品ざ・ライバル」が『月刊OUT1980年昭和55年4月号に掲載され漫画家としてデビューする。ただし4ページ原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目だけであったその後も同誌でコンスタントアニパロアニメパロディ読切発表続け1980年12月号から開始した「ど貴族物語」が初の連載作品となる。当初プロ漫画家になるつもりはなく、サラリーマン本業として続けながらの活動であった活動の場ラポートの『アニメック』やOUT増刊として始まったアニパロコミックス』と増やし新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業疎かになっていく。そして勤務年数退職金が出る年数届き退職して当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度注意されたことを機として6年勤めた会社1982年昭和57年)に退職同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記ヤマトタケルノミコト説話漫画化した「ヤマトタケルの冒険」の連載それぞれ始める。 1982年ごろに出渕裕知り合ったゆうきは意気投合して企画ごっこ」のノート見せ、これを気に入った出渕構成として火浦功加え機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す制作プロダクションへと企画持ち込む受け入れられ頓挫し多忙となった火浦企画から撤退する1983年昭和58年)の『時をかける少女』公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる。出渕裕火浦功美樹本晴彦かがみあきらとり・みき河森正治米田裕といった面々原田について熱く語る日々過ごしエッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園ねらわれたしょうじょ)」などいくつかの漫画原田取り上げた他、原田近づく機会得られるかもしれないとの理由から角川書店アニメ雑誌月刊ニュータイプ』での連載受諾している。1985年昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画ゆうきまさみはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長長寿連載となっている。

※この「アニメ誌でのデビュー」の解説は、「ゆうきまさみ」の解説の一部です。
「アニメ誌でのデビュー」を含む「ゆうきまさみ」の記事については、「ゆうきまさみ」の概要を参照ください。

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