新谷かおる
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新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫[1](読み同じ)、1951年4月26日[1] - )は、日本の漫画家[1]、同人活動家。男性。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。
- ^ a b c d e f 『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。PP170-171。
- ^ “ボイスサンプル | 新谷摩乃ウェブサイト” (2021年9月1日). 2021年12月3日閲覧。
- ^ “「エリア88」ファンにショック 新谷かおる休筆宣言の深層”. J-CASTニュース (2017年4月27日). 2017年9月8日閲覧。
- ^ 安藤健二 (2017年4月27日). “新谷かおるが休筆宣言 漫画家生活45年『エリア88』など代表作 「感動をありがとう」の声”. ハフポスト日本語版. 2017年9月8日閲覧。
- ^ “漫画家・新谷かおる氏が休筆報告「一休みしてから新しい事に」”. オリコン (2017年4月27日). 2017年9月8日閲覧。
- ^ a b 『エリアファイル88』(小学館・1985年刊)に付属されたカセットテープの作者インタビューを参照。篠原の下では漫画の基礎を、松本の下では漫画の技術を学んだと語っている。
- ^ 東京三世社「ダブル・ニッケル」 p.36 を参照。
- ^ まんが情報誌『ぱふ』1982年5月号 - 特集:新谷かおる p.8 を参照。
- ^ “クリスティ・ロンドンマッシブ:“一時休筆宣言”の新谷かおるのマンガが最終回”. まんたんWeb (2017年5月2日). 2017年6月2日閲覧。
- ^ ガイナックスCD-ROM『新谷かおるArtCollection』収録の作者コメントより。
- ^ 週刊少年サンデー創刊50周年記念特別増刊『少年サンデー1983』(2009年7月15日発売)p.213 - p.215 を参照。
- ^ 創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志 を参照。
- ^ 東京三世社「ダブル・ニッケル」 p.118 を参照。
- ^ 新谷・佐伯夫婦共同のペンネーム。新谷がストーリー作成とペン入れ、佐伯がネーム作成と下絵と作業分担している。また、当時新谷が勤めていた零時社の人間も手伝っている。
- ^ コミックマーケットに初めてサークル参加した際(1999年夏のコミックマーケット56)[1]、準備会スタッフの遊び心により、サークルスペースが通常では有り得ない、「A88」というナンバーに配置された。サークル参加の前日にはスタッフが、販売スペース前の床面に白いテープでA88と『エリア88』の滑走路に書かれているようにマーキングし、脇の柱には(作中で風間真の自室にあったような)日付に×印のつけられたカレンダーが貼られた。コミックマーケットはプロも数多く参加し、列の管理やサークル配置は安全に関わることであるため、基本的にこのような特別な処置は有り得ない。
- ^ エリア88:コミケ88のカタログ表紙に 新谷かおる描き下ろし,毎日新聞,2015年6月29日
- ^ 「まんがビデオ」とはセルアニメーションのような動画ではなく、漫画の原画を撮影したものに効果を施し、声優による声や効果音を付けるという形式で製作されたシリーズである。
- ^ “「エリア88」新谷かおる、F-4ファントムのBDで音声解説”. コミック ナタリー (2014年6月6日). 2018年5月24日閲覧。
- ^ このキャラクターについては「パトレイバー劇場版化第一作目」の公開前にスペシャル版として出したムック本でゆうきとの師弟対談のコーナーがあり、その時に新谷が内海のキャラを大変気に入り使用しても良いかと尋ねた所、それをゆうきが承諾したため使われるようになった。
新谷かおる
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サラリーマンを辞める直前の時期にゆうきは新谷の元でアシスタントを務め、この経験がサラリーマンを辞めるきっかけの一つともなっている。
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