『空へ ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』
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「ジョン・クラカワー」の記事における「『空へ ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』」の解説
(原題:Into Thin Air)1997年出版。1996年のアウトサイド誌での記事をさらに掘り下げて書いた、クラカワーの最も有名な著書。登山隊での体験や、当時のエベレスト登頂に関する一般的状況が描かれている。クラカワーは雑誌の記者として雇われ、1996年、ロブ・ホール率いるエベレスト登頂隊に顧客として加わったが、1996年エベレスト大量遭難という多数の死傷者を出す結果となった。 本書はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのノンフィクション部門第一位となり、タイム誌のブック・オブ・ザ・イヤーを受賞した。また、1998年のピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門の最終候補3作品に入選した。1999年のアメリカ芸術文学アカデミーは文学賞授与理由の中で「ジョン・クラカワーは調査報道がもつ執念深さ・勇敢さという素晴らしい流儀に、天性の作家がもつスタイリッシュな機微と深い洞察を併せ持つ。エベレスト登頂についての記述は、登山と、かつてロマンチックで孤独だったそのスポーツの商業化に対する再評価に繋がった」と本書を評した。 クラカワーは亡くなったメンバーへの弔いとして、本書の印税から「エベレスト98年メモリアルファンド」を立ち上げ、様々なチャリティ団体に寄付を行っている。 本書はテレビ映画化され、クリストファー・マクドナルドがクラカワー役を演じた。2015年には同事故を扱った映画がバルタザール・コルマウクル監督により『エベレスト 3D』として映画化された。この映画ではマイケル・ケリーがクラカワー役を演じた。クラカワーはこの映画に対し、一部は架空であり中傷的だと非難した。また、ソニーに本書の映画化権を早々と売却してしまったことも後悔していると述べた。一方、コルマウクル監督は、クラカワー一人の視点である本書は映画の制作資料になっておらず、そのためにストーリーも異なると語った。 本書の中でクラカワーは、ロシア系カザフスタン人でスコット・フィッシャー隊のトップガイドを務めたアナトリ・ブクレーエフが無酸素で登頂していたことについて「とても顧客のためになるとは思えない」と述べている。また、ブクレーエフが顧客よりも数時間早く山頂から下山したことを「ガイドとして極めて異常な行動」と述べた。しかし一方でトップキャンプまで下山してからは、遭難者を救助しようと休みなく働いたブクレーエフは英雄的だったとした。 『空へ』が出版された5ヶ月後、ブクレーエフ自身が事故についてG・ウェストン・デウォルトと共著で書いた『デス・ゾーン8848M』が出版されると、ブクレーエフの行動に関してベテラン登山家の間から異論が上がった。ゲイラン・ローウェルはアメリカン・アルペン・ジャーナルでの同書の書評において、ブクレーエフの隊は全員生還し、死傷者が出たのはクラカワーらの隊からだったと指摘した他、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事でも、クラカワーの描写の矛盾点を挙げ、ブクレーエフの英雄的救助活動に落ち度はなかったとブクレーエフを擁護した。 『空へ』と『デス・ゾーン8848M』の出版以降、デウォルト、ブクレーエフとクラカワーは、クラカワーによるブクレーエフの描写に関して反目することとなった。1997年11月に両者は反目状態を解いたが、ブクレーエフはそのわずか数週間後、ヒマラヤ山脈・アンナプルナを登山中に雪崩で命を落とした。
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