「船橋鉄道」設立とは? わかりやすく解説

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「船橋鉄道」設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 18:37 UTC 版)

船橋鉄道」の記事における「「船橋鉄道」設立」の解説

免許受けたのは1913年大正2年4月10日で、1年後1914年大正3年4月9日までに工事施工認可申請書提出することとなった。しかし1914年大正3年1月27日発起人のうち5人(岡本文平含む)が藤田栄一の部理代人委任契約解除求めて届け提出同年4月27日には残り発起人のうち4人が続いて加わった。それに対し藤田栄一同年5月20日船橋町創立事務所発起人会を招集し21人の脱退者16人の除名者(岡田文平含む)が議決された。発起人数は最盛期半分以下である25名にまで減少した。また排斥要求対象となった創立委員長藤田栄一は、この騒動責任をとって辞任船橋商業銀行頭取岡田耕平が代わって就任した1914年3月25日認可申請期限切れ迫ったために急遽工事施工認可申請期日延期願」を提出期限同年7月9日まで延長することを願い出た。その理由は、当初の予定に対して更なる比較線を発見、また国鉄常磐線柏駅において県営野田線直接連絡を図るために最善方法議論した結果複雑となり期間を要する、というものだった同年5月27日一日早く創立総会を開くことでやむなく事情迫ったとして延期認可懇請した。しかし認められなかったため同年6月4日創立総会強行創立委員長岡田耕平が社長に就任、その他取締役監査役決定した結局工事施工認可申請期限延長認められ1914年6月24日提出された。その後工事難航しそう箇所が多いことを理由柏駅付近国鉄常磐線乗り越える跨線橋建設取り止められ県営野田線接続せずに柏駅南側に駅を建設することとなった途中経由地印旛郡白井村千葉郡豊富村となり路線14マイル64チェーン改めることとなった。これによる工事方法書修正申請同年11月16日行われた同年12月22日認可され工事着手決定した1914年12月27日船橋町大神宮客殿第一回株主総会開かれた。既に5月20日半数上の発起人脱退または除名されているにも拘らず会社の設立急いだため、架空株式払い込みをし、架空資産作り出す必要があった。この株主総会ではかなり曖昧な点がある。いろいろと工作なされるが、結果として船橋鉄道計画困難な方向へと進んでゆくこととなる。ちなみに発起人脱退の理由未だに分かっていないが、この株主総会報告され創立総会報告書沿線在住者が多いことから経路停車場位置などで揉め可能性が高いとされている。

※この「「船橋鉄道」設立」の解説は、「船橋鉄道」の解説の一部です。
「「船橋鉄道」設立」を含む「船橋鉄道」の記事については、「船橋鉄道」の概要を参照ください。

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