「総中流」
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1948年(昭和23年)から不定期に始まり、1958年(昭和33年)を第1回として少なくとも毎年1回実施している内閣府の「国民生活に関する世論調査」の第1回調査結果によると、生活の程度に対する回答比率は、「上」0.2%、「中の上」3.4%、「中の中」37.0%、「中の下」32.0%、「下」17.0%であり、自らの生活程度を『中流』とした者、すなわち、「中の上」「中の中」「中の下」を合わせた回答比率は7割を超えた。同調査では『中流』と答えた者が1960年代半ばまでに8割を越え、所得倍増計画のもとで日本の国民総生産 (GNP) が世界第2位となった1968年(昭和43年)を経て、1970年(昭和45年)以降は約9割となった。1979年(昭和54年)の「国民生活白書」では、国民の中流意識が定着したと評価している。一方、同調査で「下」と答えた者の割合は、1960年代から2008年(平成20年)に至る全ての年の調査において1割以下となった。すなわち、中流意識は高度経済成長の中で1960年代に国民全体に広がり、1970年代までに国民意識としての「一億総中流」が完成されたと考えられる。 しかし、1人当たり県民所得のジニ係数における上位5県と下位5県の比を指標にすると、地域間格差は高度経済成長期の1960年代まで大きかった。地域間格差は1970年(昭和45年)頃を境に大きく縮小し始め、ニクソン・ショックおよびオイルショックを経て定着し、バブル景気期を除いて2003年(平成15年)まで安定して格差が小さい状態が続いた。すなわち、実体経済における「一億総中流」は、高度経済成長後の安定成長期に始まったとも見られ、国民意識とのずれが存在する。 『中流』がどの程度の生活レベルなのかの定義もないまま、自らを「中流階級」「中産階級」だと考える根拠なき横並びな国民意識が広がった要因は、 大量生産と国内流通網の発展によって、「三種の神器」と呼ばれたテレビジョン・洗濯機・冷蔵庫などの生活家電の価格が下がり、全国に普及したこと 経済成長によって所得が増加したこと 終身雇用や雇用保険(1947年~1974年は失業保険)による生活の安定、医療保険における国民皆保険体制の確立(1961年)による健康維持、生命保険の広まり、正社員雇用される給与生活者の増加など、貸し倒れリスクの低下により労働者の中長期的な信用が増大し、信用販売が可能になったこと 高等教育を修了する者が増加したこと テレビジョンなどの普及により情報格差が減少したこと などが考えられる。 一億総中流社会では、それまで上流階級の者しか持ち得なかった商品が多くの世帯に普及し、マイホームには住宅ローン、自家用車にはオートローン、家庭電化製品には月賦などが普及し、さらに、使用目的を限らないサラリーマン金融も普及して、支払い切る前から物質的な豊かさを国民が享受できる消費社会になった。
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