「猿丸」の伝説
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下巻に登場する小野猿丸という人物の由来は古いらしく、南北朝時代に成立した『神道集』の「日光権現事」には、「往昔ニ赤城ノ大明神ト諍(アラソヒ)ツ、唵佐羅麼ヲ語(カタラヒ)…」とあり、この「唵佐羅麼」を「オンサラマ」と読みこれが小野猿丸のことだという。文明16年(1484年)の年紀がある『宇都宮大明神代々奇瑞之事』にはその名を「温左郎麿」(おんのさろうまろ)とするので、「唵佐羅麼」の「麼」とは「麿」の誤写の可能性もあるが、いずれにしても小野猿丸という名前そのままではないようである。ちなみに宇都宮二荒山神社は祭神を太郎大明神とするが、祭神はこの小野猿丸であるという伝承があったことを林羅山著の『二荒山神伝』他は記している。 南会津地方では弓の名手である猿丸は、日光権現を助けた猟師の始祖であり守り神であるという信仰があり、その地方の猟師は猿丸の子孫と称し、これを祀ることがあったという。また鎌倉時代後期の成立といわれる『続古事談』の巻第四には、「宇都宮は権現の別宮也。狩人、鹿の頭を供祭物にすとぞ」という記事がある。宇都宮とは宇都宮二荒山神社のことで、この社に狩人が獲物の鹿の首を祭の供え物として奉納していたということである。『日光山縁起』も含めこれらからは、狩人すなわち猟師たちには宇都宮はもとより日光山に対する信仰が古くからあり、そして日光山をめぐる伝説の中に自分たち猟師の代表として、「小野猿丸」(もとからこの名だったという保証はないが)という人物を形成していったと見るのは容易である。 この猿丸は『日光山縁起』の本文でも見られるように、民間伝承では三十六歌仙の猿丸大夫と結び付けられる。猿丸大夫は『古今和歌集』の真名序(漢文の序)にその名が出てくるほかは一切が不明の人物である。しかし小野猿丸というのが当初からの名ではなく、古くは「唵佐羅麼」(或いは「唵佐羅麿」)ともまた「温左郎麿」とも称したのであれば、同じ「猿」つながりでの後付けによる付会の可能性が高いといえる。なんにせよ小野猿丸は伝説上の人物であり、その実在を確認することはできない。
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