「猿丸」の伝説とは? わかりやすく解説

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「猿丸」の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/22 20:51 UTC 版)

日光山縁起」の記事における「「猿丸」の伝説」の解説

下巻登場する小野猿丸という人物の由来は古いらしく、南北朝時代成立した神道集』の「日光権現事」には、「往昔赤城大明神ト諍(アラソヒ)ツ、唵佐羅麼ヲ語(カタラヒ)…」とあり、この「唵佐羅麼」を「オンサラマ」と読みこれが小野猿丸のことだという。文明16年1484年)の年紀がある『宇都宮大明神代々奇瑞之事』にはその名を「温左郎麿」(おんのさろうまろ)とするので、「唵佐羅麼」の「麼」とは「麿」の誤写可能性もあるが、いずれにしても小野猿丸という名前そのままではないようである。ちなみに宇都宮二荒山神社祭神太郎大明神とするが、祭神はこの小野猿丸であるという伝承があったことを林羅山著の『二荒山神伝』他は記している。 南会津地方では弓の名手である猿丸は、日光権現助けた猟師始祖であり守り神であるという信仰があり、その地方猟師猿丸の子孫と称し、これを祀ることがあったという。また鎌倉時代後期成立といわれる続古事談』の巻第四には、「宇都宮権現別宮也。狩人、鹿の頭を供祭物にすとぞ」という記事がある。宇都宮とは宇都宮二荒山神社のことで、この社に狩人獲物の鹿の首を祭の供え物として奉納していたということである。『日光山縁起』も含めこれらからは、狩人すなわち猟師たちには宇都宮もとより日光山対す信仰古くからあり、そして日光山をめぐる伝説中に自分たち猟師代表として、「小野猿丸」(もとからこの名だったという保証はないが)という人物形成していったと見るのは容易である。 この猿丸は『日光山縁起』の本文でも見られるように、民間伝承では三十六歌仙猿丸大夫結び付けられる猿丸大夫は『古今和歌集』の真名序漢文の序)にその名が出てくるほかは一切不明人物である。しかし小野猿丸というのが当初からの名ではなく古くは「唵佐羅麼」(或いは「唵佐羅麿」)ともまた「温左郎麿」とも称したであれば、同じ「つながりでの後付けによる付会可能性が高いといえるなんにせよ小野猿丸伝説上の人物であり、その実在確認することはできない

※この「「猿丸」の伝説」の解説は、「日光山縁起」の解説の一部です。
「「猿丸」の伝説」を含む「日光山縁起」の記事については、「日光山縁起」の概要を参照ください。

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