「不可思議の事なり」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 14:22 UTC 版)
藤井寺・教興寺の戦いの結果は、北朝・幕府の根拠地である京へ驚愕をもって伝えられた。 20日、北朝の前左大臣洞院公賢のもとを、官人・歌人の惟宗光吉と惟宗光之が訪れ、幕府軍が帰京して状況報告したことを伝えたが、公賢の日記は河内での合戦について、「不可思議事也」と記している(『園太暦』同年9月20日条)。 「不可思議」の短縮形として「不思議」という言葉があるが、『太平記』研究者の長谷川端は、『太平記』の作者は、正行の父である正成を、「不思議」という語によって捉えようとしていたのではないか、と述べている。例えば、『太平記』の古態本の一つである「西源院本」では、千早城の戦いの正成について「楠ガ心ノ程コソ不思議ナレ」と評されている。長谷川の説によれば、少数の手勢で城を守る正成の武略と智謀は、とても人間業とは考えられず、『太平記』作者の正成に対する、「超現実的なものへの驚き」の念が、「不思議」という言葉に表現されているのだという。以上の正成への「不思議」はあくまで文学である『太平記』上での評価だが、正行への「不可思議」は文学の主人公ではなく今まさに北朝へと兵を進めつつある同時代人物への驚嘆である。
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