洞院公賢とは? わかりやすく解説

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とういん‐きんかた〔トウヰン‐〕【洞院公賢】

読み方:とういんきんかた

[1291〜1360]南北朝時代公卿有職故実明るく南北両朝から信任され左大臣太政大臣任じられた。「拾芥抄」「歴代最要抄」などの編著のほか日記園太暦(えんたいりゃく)」がある。中園入道相国


洞院公賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 05:22 UTC 版)

洞院 公賢(とういん きんかた)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正式な名乗りは藤原公賢左大臣洞院実泰の子。官位従一位太政大臣。通称は中園相国。出家して空元。また遍昭光院とも称された。有職故実の大家で、歴代天皇・将軍からたびたび諮問を受けた。また、公賢の日記『園太暦』は、中原師守師守記』と並ぶ最重要史料であり、重要文化財に指定されている。文芸にも造詣が深く、歴史物語増鏡』の作者の正体としては、二条良基に次ぐ有力候補である。養女で後醍醐天皇側室の洞院廉子(阿野廉子)を通じて、南朝後村上天皇の系譜上の祖父になる。


  1. ^ 洞院公賢』 - コトバンク
  2. ^ 小川剛生『二条良基研究』(笠間書院2005年)P46
  3. ^ 松永和浩『室町期公武関係と南北朝内乱』(吉川弘文館2013年)P242-244


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