B.J.ライアン
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トロント・ブルージェイズ時代 (2008年5月26日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ルイジアナ州ボージャーシティ |
生年月日 | 1975年12月28日(46歳) |
身長 体重 |
6' 6" =約198.1 cm 260 lb =約117.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 17巡目(全体500位) |
初出場 | 1999年7月28日 |
最終出場 | 2009年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
1998年のMLBドラフト17巡目(全体500位)でシンシナティ・レッズに指名されて入団。翌1999年7月28日にメジャーデビューを果たすが、1試合に登板しただけで、同年の7月31日にボルチモア・オリオールズにトレードされる。移籍先では13試合に投げて防御率2.95の好成績を残す。
翌2000年開幕から5月2日までの1失点に抑えていたが、それ以後の9試合の登板で16自責点の成績で、6月9日にマイナーリーグへ降格した[1]。その後マイナーでは14試合に登板し、オールスター・フューチャーズゲームに投げてはいないが選出されている[1]。7月30日にメジャーへ復帰し、新人投手としてリーグ4位の42試合に登板したが、防御率は5.91に終わった[1]。
メジャーで1年を通してプレーをした2001年はチームでバディ・グルームの70試合に次ぐ61試合に登板し、5月16日にメジャー初セーブを記録した[2]。2002年は67試合に登板した。
2003年に一気に飛躍。ティッピー・マルティネス(1982年)の球団記録に並ぶ76試合に登板し、防御率も前年の4.68から3.40まで下げ、奪三振率は11.25でリーグ2位[3]。2004年も好調を続け、昨年記録した球団タイ記録と同じ76試合に登板。防御率は2.28まで下がった。リリーフとして122奪三振を記録し、奪三振率は昨年を上回り、アーマンド・ベニテス(1997年 13.01)に次ぐ球団史上2位となる12.62[4]。5月1日の対デトロイト・タイガース戦では、打者に対して1球も投げずに降板し、勝利投手になるという珍しい記録を残している。1-2と1点を追う7回2死1塁で登板すると、初球を投げる前に1塁走者だったオマー・インファンテを牽制球で刺してチェンジ、直後に味方打線が3点を奪い逆転し、残る8回と9回を別の投手が引き継いでリードを守りきったため、打者に対して1球も投げずに勝利投手になった(0球勝利)。
続く2005年は、コントロールが定まらなかったホルヘ・フリオに代わり、抑え投手としてシーズンを迎えると、あれよあれよのピッチングを見せて36セーブをマーク。一躍オリオールズのクローザーに躍り出たかに見えたが、同年オフにフリーエージェントとなり、同年11月に救援投手史上最高額となる5年4700万ドルでトロント・ブルージェイズと契約した(従来の最高額はマリアノ・リベラの4年4000万ドル)[5]。
2006年もクローザーとしてしっかりと役割を果たし、リーグ3位となる38セーブをマーク。しかも、防御率は1.37という驚異的な数字で、その数字はあのニューヨーク・ヤンキースの抑えの切り札である大投手・マリアノ・リベラをも上回る数字だった(リベラの防御率は1.80)。また、この年の38セーブは、ブルージェイズ史上4人目の年間35セーブ達成者となる快挙であった。
しかし、2007年はわずか5試合の登板に終わった。4月14日の登板で4失点で救援失敗。翌日に左ヒジ痛が発覚して故障者リスト入り。予想以上に重症でトミー・ジョン手術を受けた[6]。
2009年7月8日にブルージェイズから解雇された。その後、7月16日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格を果たせないまま8月5日にカブスから解雇された。
選手としての特徴
スリークォーターまたははややサイドスロー気味から、ツーシームとスライダーを中心に投げ分ける。与四球がやや多いものの、奪三振率も高い。
左投手でもあり、左打者には滅法強い。クローザーに抜擢される以前は左打者に対するリリーフとして起用されていた。
- ^ a b c “B.J. Ryan 2000 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “B.J. Ryan 2001 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “B.J. Ryan 2003 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “B.J. Ryan 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “Reports: Jays, closer Ryan agree to 5 years, $47M”. ESPN (2015年11月26日). 2018年5月13日閲覧。
- ^ 村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、76頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- 1 B.J.ライアンとは
- 2 B.J.ライアンの概要
- 3 詳細情報
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
レオン・リー ジョン・バーケット B.J.ライアン レロン・リー グレッグ・ゾーン |
シンシナティ・レッズの選手 |
コーリー・パターソン シーザー・ジェロニモ B.J.ライアン ヘクター・カラスコ ライアン・デンプスター |
ボルチモア・オリオールズの選手 |
ダグ・ドレイベック ニック・マーケイキス B.J.ライアン グレッグ・ゾーン オーブリー・ハフ |
トロント・ブルージェイズの選手 |
A.J.バーネット コーリー・コスキー B.J.ライアン グレッグ・ゾーン ゲーリー・グローバー |
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