鹿野道彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 00:55 UTC 版)
エピソード
- 座右の銘は「慎始敬終(しんしけいしゅう)」[19]。
- 趣味はへらぶな釣り。毎年「鹿野杯」と称した釣り大会を地元山形で開催している。また、将棋も2段の腕前だという。
- 身長は180cm。
- 代議士当選前からメガネを着用しており、2011年には日本メガネベストドレッサー賞を政界部門で受賞している。
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災への対応について、4月10日投開票の東京都知事選挙で当選した石原慎太郎知事は、当選後のインタビューの中で「鹿野君というのはね、実務の分かっている大臣だから。珍しい大臣ですよ、今の内閣では」と鹿野の対応を肯定的に評価した。
- 2011年の民主党代表選の際、出馬を熟慮する鹿野に対し野党である自民党の丸山和也・山田俊男両参議院議員が8月24日に農林水産省を訪ね「他の候補は力量不足だ。(他候補と比べ)鹿野さんが一番ふさわしい」と異例の出馬催促を行った。また、同じく自民党の長谷川岳参院議員からも8月23日の参議院農林水産委員会で「一次産業を守られるという姿勢は見えて、共感の持てる方であると思っている」、「一次産業を守るという姿勢で代表選でメッセージを発してほしい」と出馬を呼び掛けられるという一幕があった。
- 余計な事を話さない性格から「ブリキのパンツ」との愛称がある[20](農水相在任中も、森喜朗から「何も言わない農水相」と評されるほど政局に関する発言を公の場ですることは少なかった)。
- 元自民党の議員であったため、年末恒例であった永田町闇鍋では他の自民党議員からミッちゃんと呼ばれていた。
- 政治評論家の三宅久之が当時、清和会会長であった 安倍晋太郎に「あなたの部下で役に立つのは誰か」と聞いた際に真っ先に「鹿野君だ」といった。
- 2004年、小国町に暮らす舟山康江を訪ね、「日本の農業はこのままで良いんですか」と参院選への立候補を説得した[1]。
- ^ a b c “鹿野道彦・元農水相死去 新幹線・政治改革・震災…ぶれず奔走”. 朝日新聞デジタル. (2021年10月23日) 2021年10月25日閲覧。
- ^ a b c “元衆院議員、鹿野道彦氏死去 79歳、農相など歴任”. 山形新聞. (2021年10月23日) 2021年10月25日閲覧。
- ^ 日本経済新聞2011年8月28日朝刊
- ^ 時事ドットコム2011年8月28日
- ^ “海江田氏と野田氏で決選投票に…民主代表選”. 読売新聞. (2011年8月29日) 2012年3月13日閲覧。
- ^ “ドキュメント・民主党代表選:鹿野氏のサイン「上着を脱いだら2位に投票」”. 毎日新聞. (2011年8月30日)
- ^ “民主党:鹿野グループ発足 設立総会に35人が出席”. 毎日新聞. (2011年9月1日)
- ^ “鹿野農水相が不可解な人事に関与? 自民・稲田氏が追及”. 産経新聞. (2012年2月9日) 2012年3月13日閲覧。
- ^ “鹿野、篠原、山下3氏が農事功労章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月22日閲覧。
- ^ “参院選2013比例区開票速報(改選数48)”. 朝日新聞. 2023年5月5日閲覧。
- ^ 「参院選比例 民主・鹿野氏、政界引退へ」 『河北新報』 2013年7月23日
- ^ “春の叙勲4104人 旭日大綬章に葛西氏ら”. 日本経済新聞. (2014年4月29日) 2014年5月12日閲覧。
- ^ “鹿野元農水相死去、79歳 政治改革を標ぼう”. 時事通信社. (2021年10月22日) 2021年10月22日閲覧。
- ^ 『官報』第621号7頁 令和3年11月22日号
- ^ 民主党:農林漁業の再生を考える運動本部、茨城県の漁業者と意見交換[1]
- ^ 2009年衆院選挙時 朝日新聞アンケート回答
- ^ “戦闘態勢「五者五様」 変節攻撃か焦り露呈か”. 産経新聞. (2011年8月28日) 2012年3月13日閲覧。
- ^ しんぶん赤旗2003年9月12日
- ^ “鹿野道彦研究 かつてのプリンス最後のチャンス 寡黙さゆえに担がれる存在に”. 産経新聞. (2011年7月21日) 2012年3月13日閲覧。
- ^ 時事ドットコム2011年8月27日
固有名詞の分類
- 鹿野道彦のページへのリンク