鮫島晋 鮫島晋の概要

鮫島晋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 09:39 UTC 版)

鮫島晋

経歴

後に文部省一等属、東京女子師範学校東京師範学校東京高等女学校など官立学校の教諭を歴任。
  • 1888年(明治21年) - 文部省を非職処分となる。
  • 1895年(明治28年) - 小諸義塾の教師となり、数学、物理および化学などを教える。
  • 1906年(明治39年) - 小諸義塾が閉校となり退職。
その後、前橋義塾、私立文武館、私立明道中学(広島県)、私立平戸女学校教諭を歴任。
  • 1915年(大正4年) - 平戸女学校を退職。以降教職を退く。
  • 1917年 - 死去。享年65。

エピソード

酒好きで純朴、誠実で不器用な人柄で教師の仕事に熱心であったとされる。

1899年(明治32年)から6年間、小諸義塾の教師仲間に島崎藤村がおり、藤村の『千曲川のスケッチ』、『千曲川旅情の詩』、『貧しい理学士』などに鮫島が描かれた。

他の物理学校設立発起人が、日本の物理学草創期を飾る学者・教育者としてそれぞれ功成り名遂げたのと対照的に、田舎教師として生き貧窮のうちに死去した。晩年には物理学校関係者と連絡を絶っており、その死は他の発起人に知らされることもなく、したがって東京理大の校史においても発起人21名のうち彼の経歴だけが長い間不明になっていた。

著作

著書・編書

関連文献

外部リンク

公職
先代
東京女子師範学校附属小学校監事
小川鋠太郎
東京師範学校附属女児小学校主任
1885年 - 1886年
東京女子師範学校附属女児小学校監事
1882年 - 1885年
東京女子師範学校附属小学校監事
1881年 - 1882年
次代
東京師範学校附属男女小学校幼稚園主任
桜井房記



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